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その奥へと続く水の便りの

音言遊戯帖第78集

 

  

      Письмо воды продолжается к внутренней части

❏ 2011.1.04-3.20 

❏ Восемь семидесятый том тетрадей для игры звука стиха  

 

 

Звук,звукозапись,стихи,Фото.и дизайн:.ОНЮГИ. Программное оборудавание, Cakewalk/MUSIC CREATER 5. Shure SM57 микрофон,Cardioid DM-876S микрофон и Yamaha MV802 Хроматической насторойка,MT-1200,TU-12H. Зписался на звукстудии ругнои работы ОНЮГИКАН.  04 Января ~20 Марта 2011.   

URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi Email:onyuugi@infoseek.jp

Music,recording,poem,photo and sleeve design by onyugi. Recording application software Cakewalk/MUSIC CREATER 5. Shure SM57 microphone,Cardioid DM-876S microphone, and Yamaha MV802. MT-1200 Multi temperament tuner,Chromatic tuner TU-12H, Recorded in The Handmade Studio ON YUGIKAN. 04 January~20 March 2011.

URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/  Email:onyuugi@infoseek.jp

使用楽器・音具 

Музыкальный инструмент/Звонкои инструмент

ギター2・Electric acoustic guitar(ovation1587-9)

ギター10・Acoustic guitar(TAKAMINE・TSA800)

ビー玉

YouTube

6:14  5:37  4:47  6:48  4:57  10:08  6:02  6:15  6:22  3:39  5:29  3:35

 

Общее время звучания Total time 70:08

 

各曲には長い沈黙が収録されています。ご注意ください。

その奥へと続く水の便りの

 

その奥へと続く水の便りの、乖離に逆回転させられた大地の糧には、希望の連鎖が並んでいるはずだった。装着は比較機動性の19世紀の賜物でもあったし、それまでの衷心への視覚を省みることのなかから紡ぎだされてきたはずだった。とはいうものの、終わりの短命化は容赦なく、アジアの地軸に染まりながら晦渋への祈りを打ち砕いてもいた。そこにあることの確かさは代えがたいものであるにしても、あるにしてもの先の不透明さにうなだれているのも、ある意味での詩行の償いかもしれない。窓は開かれて、虹の光を失ったとしても、耐えたことへの抗いは空の下の非文字に救われている。

 

離反への覚悟は線状性を同時に移ろって

 

離反への覚悟は線状性を同時に移ろって、焼け水に石をしている。つかの間の能動性は歴史的寿命にさらされて漸次的先有傾向へと吸引されてもいる。点検されたままの地下室の焦燥に当てたレンズの釈義学は目新しい卑小性を紡ぐこともなく、誤読への恣意性を方式化してもいる。乗数のプロセスは痛々しいまでの過去の錯誤を繰り返してもいるし、とりとめのない利己主義への守護神を固陋としている。だからというわけではないが、青い旗は煙幕の向こう側、かつての論理に埋葬された通気性を帯びながら、通信はとだえたままの階下への逃避をそそのかしている。

 

街までのその風の刻みと

 

街までのその風の刻みと、自己言及性を並走させた曳航への歩みには、停滞の星が噛み砕かれてもいた。袋の中身を探しても捻じ曲げられていたのはほんの少しの異化でしかない。止まる必要もないのに裏返ったまま何も言わずに微笑んでいたのは栞の細さかもしれない。などと、手を合わせて柄にもないことをしてみるのも、きっと、「だからこそ」なのだろう。ついでにもう一つ歩けば思い出に会えると、コップの底を覗いていたのも悪くはなかったし、往還の喧騒に慣れてしまっていたのもいつのことだろう。沈んでばかりいた小船はどこかへ行ってしまったけれど、あどけなさは擦り切れたモノクロームに収まっている。

 

開始された火急への道筋を暗みに落として

 

開始された火急への道筋を暗みに落として、戸惑いの道具箱に、これからの、いつのまにかを対話にしていたのも方式だったかもしれない。もうすこしの冷気や後ろめたさに引き裂かれながら、紙への誓いを裏切っていたのは祭りの準備だったのかもしれない。その裏に行くにはあまりにも人は老いて、ビルのタブローはどれほどの人を呑み込んできたのだろう。今ではすっかり内在批評も得意になってしまった、おそらく翳の染み込んだコンクリートの後退へと繋がる変電箱のつらさは、お見通しなのかもしれない。蓋然性はそれでも、静かに握りしめられて、聞いたことがあるような坂道を夜していた。

 

重ねられた図像の意味を尋ねられて

 

重ねられた図像の意味を尋ねられて、「地図を風景にもどすことだよ」と径庭されていたのは45mmの寒暖計でもあった。汲み取れないことへの焦燥はあったにしても、了解できるものがすべてであっても、きっと、お手玉は成り立つことはないだろう。浮き彫りにされて、壊れたゼンマイをたたんで、タブローに貼り付けてみるのも一考かもしれないし、はじき返す水彩の身を寄せ合うつつましさに目を探してみるのもたまにはいいのかもしれない。青さは暗みの紙一重に横断歩道を渡る準備に事欠かないし、脱中心化されて、それでも、廃止はいつでも鞄の中にしまってあると、吹いているのは構図の設計図。

 

青と赤の葬列の連れにかかわりながら

 

青と赤の葬列の連れにかかわりながら、意図は階上への静められた対話とおぼしき尋ねられた相乗への断りでもあった。目の先にあるといわれていた街路の疎外は、やはり、こわばる笑顔の無き標に違いなかったが、冷たさはドアの向こうの抽象へと過ぎ去ってもいた。とりとめの無い石はそれぞれの思念を持ちながら並んでもいたし、響きあう天井の片隅にさえ微細の声は粒子となって張り付いてもいたのだ。おそるおそるの目次への視線はきれたスイッチの揺り戻しでもあったし、軽い疲労の友人でもあった。そうして、落ちかかるはずの無い垂直線のあいまいさはそのまま階下への非活動への入り口でもあった。意思歌へと向かう白い泥濘に

偶像に添えられた受容の理論と

 

偶像に添えられた受容の理論と、名前の伏せられた濡れた「ぎぬ」とに個性は自らの円周を収斂させる。ときおりの冷たいノイズに思考はふさがれてもいたし、横に立ち並んだエッチングの硬直さの中で、皮相の宙吊りはかろうじてのペンを走らせていたのかもしれないし、第三区画の伝言板に記されていたのかもしれない。ピンホールは信頼という記憶装置の隘路をいくつも並べていたし、笛を齧りながらの行間を途切れさせながらでもあったが、39分目の白紙のリノリウムを多い尽くすことも、きっと、送信されてもいた。>はそれでも意味を追い求めながら、~Eすることを夢見ているのかもしれない。

 

通り過ぎたはずのモダニズムが口絵をそろえて待っていても

 

通り過ぎたはずのモダニズムが口絵をそろえて待っていても、久しぶりの内省は手に余るものがあったし、まして、ずれ込んだ位相は8726Hの捜索を不自然なものにしていた。掣肘はいつかの非の常識だからといって、それを屈曲させながら楽しんでいたのも曇り空のせいではなかったし、たどり着けば船でしかなかった。こんなにもという情感は似つかわしくないと、醒めて論理を装ってみたところで頓挫は飴玉でしかないし、固定された心電図はいつかは停止の順不同にもてあそばれるだけに違いない。その儀式を見届けて、原っぱをぐるぐる数えていたのは音の無い電電太鼓さ。

 

見たとき削れたネジの頭の時間の断面は

 

見たとき削れたネジの頭の時間の断面は、説得性のくすみの色に埋没しかけていた。一つ一つの指先の確認を急いで、浮かび上がる損失機械の律動に目が覚めていたのも、おそらくは充満だろう。2部以上の擦過音は必要ないと気取ってはみたものの、左から数え始めたパラチョールの掻き傷をなぞっていたのは私以外の人。次の先週の日曜日にはおごそかな過去形が円陣を組んでいるといったのは、先を行く赤いコートの見知らぬ人でもあったし、感嘆符にそれこそ驚いて疑問符を記しゴムで壊しかけていたのも見知らぬ隣人だった。みどり要路をひっくり返して、それでも苦悶しているのは君ばかりではないはずだ。

 

電信柱を回りながらエクリチュールしていたらスタンザだったけど

 

電信柱を回りながらエクリチュールしていたらスタンザだったけど、なんだかわかったような気もした。金魚鉢の底から覗いてもう一度屋上を下から眺めたらビンの底だったように、君もでんぐり返っているのだろう。32年代のブルトンをスタンプして気取ってみたところでもうすぐ秋になってしまう時刻表はいくら探しても道端に落ちてなかったし、mの自乗は二つに分かれた腎臓の重要さに気がつくことすらない。透明さはかけがえのないシニシズムの憧れでもあったし、日常の不敵さは今に始まったことでもないし、煙突の突端に登って自分の怯える姿を写真に取る勇気もないのだから、仕方ないね。

 

「止まれ」赤いモリリンは突き刺さって

 

「止まれ」赤いモリリンは突き刺さって、忘れてしまった偶と然と曖と昧に似たチェトレーリエの花束を持っている。焦げた電信柱の遠ざかりが見たくて訪ねてみたものの、お皿は欠けたままの満月に誘われて海へといってしまったという。おまじないにさえならないと嘆いていたコムソモールの住人には、記憶された議論の円陣が意味にも浮かんで消えている。底への濁りの川に満たされてもいた放射能のくびきからは、鞠にも似た虹がかかっていたし、巣立ちの跡のひねもすのひび割れた地図からは、何が読み取れるだろう。半分ちぎって乱舞させ、落ちたところが偶然詩。

 

規則正しさは廃されて

 

規則正しさは廃されて、基層を行く動悸の転換を期としてみても、点線軌道は少しばかりの橋桁をくぐって用水に流れ込む。こうした青い公共圏を空間性の所在地として、何度めくっても現れる文脈の乖離からは、ときめきの弁証法さえ眉間にしわをよせつづけている。単調な偶発性に乗りながら、日常のステッカーを貼り終えてみるのも断片化され、流動化したアトリエの祝祭への抵抗なのかもしれない。それらの拡散する方法式の触媒装置には、帰せられたダンボール貝の民域が忍び寄っていたにしても、沼の底の香りには崩壊した滅裂が円卓会議を繰り返している。

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