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気がつけば「れ」と言うまでの夕べのミシンでしかないが  音言遊戯帖第84集

 

  

     Если Вы обращаете внимание, хотя это будет только

     швейный   машинкой вечер пока это не назовет это "ре"

 

❏ 2011.10.26-11.23 

❏ Четыре восьмидесятый том тетрадей для игры звука слова 

 

 

Звук,звукозапись,стихи,Фото.и дизайн:.ОНЮГИ. Программное оборудавание, Cakewalk/MUSIC CREATER 5. ZOOM Handy Recorder H1.Shure SM57 микрофон,Cardioid DM-876S микрофон и Yamaha MV802 Хроматической насторойка,MT-1200,TU-12H. Зписался на звукстудии ругнои работы ОНЮГИКАН. 26 Октября~23 Ноября 2011. URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/ Блог :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/ 音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/ Email:onyuugi@infoseek.jpMusic,recording,poem,photo and sleeve design by onyugi. Recording application software Cakewalk/MUSIC CREATER 5. ZOOM Handy Recorder H1.Shure SM57 microphone,Cardioid DM-876S microphone, and Yamaha MV802. MT-1200 Multi temperament tuner,Chromatic tuner TU-12H, Recorded in The Handmade Studio ON YUGIKAN. 26 October~23 November 2011.  URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/ Blog :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/ 音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/Email:onyuugi@infoseek.jp 

 

使用楽器・音具 Музыкальный инструмент/Звонкои инструмент

 

ギター2・Electric acoustic guitar(ovation1587-9)
ギター10・Acoustic guitar(TAKAMINE・TSA800)
フレーム太鼓

YouTube

 

5:37 6:37 6:22 4:49 5:35 5:52 6:44 5:43 5:02 7:19 5:53 7:46

 

Общее время звучания Total time 73:17

各曲には長い沈黙が収録されています。ご注意ください。

気がつけば「れ」と言うまでの夕べのミシンでしかないが

 

気がつけば「れ」と言うまでの夕べのミシンでしかないが、倦怠はすぐそばまでのフェリエトン帽子を絵にちぎりながら、イズムへの領域を思考する。rいに満ちた透明さは夜から下がった切迫線でもあったし、コインの入り口でもあった。現場はそれでもの微細性を裏切ることもなかったし、緑の唄を惜しげもなく相互主観に変えてもいた。丸はいつから4次元の傷の軋みとなっていたのかはわからないが、扉を水して待ち続けていたのも森の鬱屈だったような気もする。沈みかけて、赤い手のひらをT状に重ねていたのも、きっと、悪くはないのかもしれない。

 

過線はモモンガで凸ポンであり

 

過線はモモンガで凸ポンであり、パドゥルーガしていたので新しいタグポットは白亜の合い音だった。し、足音も目線を追いながらの‘でしかなく、ハルハ語はいまどうしているのだろう。イルカムの響きは交互の素材、搬入が飛び上がるのは容易でもないが、オフィスのい赤どことの、つめを噛むような夜のつらさを知ってしまったわけでもないエトピ理科もきっと面白いのかもしれない。車止めが、きっと、そろばんの品質を備えているのだから、いく獲のその他ギザに蓋をして、あまりの無蓋性に手をひっかけて吊る下がっているのはあまりのあぶない壊れた乾電池。

 

スコップが握手して

 

スコップが握手して、ヘッドホンと入り口鳥の足と、アフォリズムはキケロスに教わったような気もしている。さあ、リンク状のユーナシャは掣肘を求めての、砂漠の鉄路度系でもあろうかと、そのうち凍ってしまった疲労の些細ないさかいでもあった。待ちくたびれて、三角の雨コンクリートキャラメル、「いいなあ」と字幕が祠の5秒だった。ついこの近代化は塵蟲の手袋が掘り進められた青空の、糸をたぐりよせた切断面でもあるし、きっと、キャップを飲み込んだまま鍵の二足歩行でもあるのだろう。いつかつながる夢もいいけれど、p斤も近所のコッペパンだったような、金魚壁。

 

地下手鉄から出てきたのは偏在する空虚

 

地下手鉄から出てきたのは偏在する空虚、座りの悪さは悪くはないが、魚の交通整理はスクリーンに実は映ってはいないのだった。脈絡は拡散したまま汎色文法書に静かに整えられて、いないし、昨日からの鉄のアパートには待ち構えて、制御、言語も実はトンボ玉に食べられている。方位図形はたった二人の文末の脚注に彩られた胞子でもあって、だからという、ちいさなダンスでもあるに違いない。それでも実体なき散乱するイメージを見開きながら、トランプをきって詩を作る人もいまだにいて、方式はポン朝にゆっくりとしているらしい。

 

軟体棒が改札を右に折れて

 

軟体棒が改札を右に折れて、色の繭の内面を一つずつときほぐして茶色の地下水に浸っている。それは、雪解けのではなく、一歩手前の異国への手紙であって、朽ちた天使へのささげ物だった。辞書、逆立ち魚の、モデラート。いまでもシクロフスキイはトレーシングペーパーに凍死しながら秒針にくるまれている。「チョコレートアイスクリームは機能的制裁」として6行ばかりの想像力をなぎ倒されている。てもいなかったわけでもなく、水平川の刻みを掬い取るのは冬の仕事ではない。いつまでも、軽やかな、メリーゴーランド、地下室へ入ってゆくのは、二日前の吼えかけの水溜り。業態化された濡れ落ち葉なのだろう。

 

目指されたものは時計の窓に映る憂い顔のフォルマリスト

 

目指されたものは時計の窓に映る憂い顔のフォルマリスト。24357はLOARSの白紙を染め抜いていたにしても、怯える階段からの見開きの歯車からは、伏されたままのメモが透けている。背中にしか一枚一枚はないと、泡をつぶして公園に閉じこもっていたのは、そっと、ずさんにすぎないけれど、溝からこぼれた音を集めて糊付けしていたのはどこかのrのおもちゃ箱。夏の疲弊は魚の電信柱に掃き清められて、離反の鉄条網さえガラクタのネジにまぎれて潜伏しているらしい。見たことも聞いたこともある記憶はカーボナイドの座席を用意されてもいたし、粒子のあの日を「経済学批判」に宙ぶらりんだ。

 

峻拒を拒絶し

 

峻拒を拒絶し、奪われた櫓を漕ぐ人のように、この記憶は曖昧なものでしかなく、曖昧な隔たりでしかないが、それでも、そのこと自身がなぜ慰めようとするのか。復元の参照を尋ねながら、夜の硬質を叩きながら、1/1というすべての再生を願わずにいられないのはなぜだろう。早すぎるものへの配剤をうらんでも、残されたものの驕りでしかないとするならば、その上で、残されたものの差し出すべきものは何物なのだろう。あわ立ちの行方を掬い取りながら、亡命の詩を謳ってくれたのは2m四方の、その大きすぎる刹那の空白をあきらめずに紡ぎ続けた人なのだ。

 

とぼとぼと行くモデラートの統語的簒奪に

 

とぼとぼと行くモデラートの統語的簒奪に、水輪は凝結を重ねながら昔日の悔悟を鵜呑みにして、膝をかかえてしまう。とはいえ、言語素の目盛りはそのままに、付き添われて、開かれた句座に始まってしまった入力の出口からは、逡巡色が彫琢されてもいた。削られて、身を捩る余裕もないのに戸棚の懐中電灯は売られてしまった。それからの窓の裏には飛びかけの弱強格が並びはじめていたし、愚にもつかない屈折が緑性を紡いでもいたのだった。として、沃野は救済の知らせを告げるにはあまりにも穏やか過ぎて、ふやけた円盤の周りには3ミリの電車が転んでいるだけなのだ。

 

リノリウムの扉を裂いて中に入ると

 

リノリウムの扉を裂いて中に入ると、串刺しにされたアルミの自動車。逆回転は重たすぎるが、祝儀の俗性は痩身の絵文字にぼやけてもいる。瀆聖はみなぎって、ライトアップされた撞着語法のうつろさに溺れかけのリンゴを壁の染みにしてもいた。饒舌を控えめに後ろ盾にして、折れ線状の自律言語を路地に並べて削り取っているのも、なんだか奇妙な擬制のような気がする。しかもそのメカニズムは有罪を放免する無罪を逸脱してもいるのだ。さらなる動態性は偏心を逆立ちにして、その繊細な花音に耳を彩らせながら、コツリとして、雨を伺って、階下の静けさをも包摂に変えてしまっている。

 

撰とは瀆聖への見限りをたずさえつつ

 

撰とは瀆聖への見限りをたずさえつつ、匿名性の照射を鍵している。白は、白をそのまま弾き返されて、天井の白さへの、もろさへの、異質の空間をなぎ倒そうとする。おそらくは、地塗られた微細なボールペンの貴重な時刻を知らずにいたのは、池畔の隣人でもあった。入りて、留まろうと、するほかない囲暁の橋渡された造型の巨大さはつまびらやかな分割を夢見ていたのかもしれない。が、暴発は確実性という忘却への不信をあらわにしていたし、¥の「という実証性をあてにしてもいたのだろう。閉じられた括弧のという抽象性は硬い枠組みの暗みへの隣接を好むものではないが、燐粉は裂けられる。

 

鮮やかさは諮問と船団であり

 

鮮やかさは諮問と船団であり、突き当りのゆらぎの校庭を過ぎている。二層のギャラリーを巡る散乱する主観ははぐらかされた文脈に過ぎないとしても、横に並んだ穴ぼこの冷ややかさをも知っている。るるらの声音に脅かされて、都会のフェンスを切り刻んでいたのは午後5時の暗がりだったし、電波を誘う軒下のフラワーショップ。いくら教えられても不都合なのは名前のつけられた無謬性。モノクロはすぐに過去を思い出させるにしても、屈折の金属性は検針記録を葬り去って久しい。だからこそ、あいうえこのショートケーキを買って帰るのも悪くはないと新聞配達されていたし、どぎまぎする言葉の分割を急いでもいる。

 

道行は根付きの無防備であるにしても

 

道行は根付きの無防備であるにしても、教えられるままの手の袋を噛みしめる。事項は子供の遊びと慰められて、その脚注の意味に飽きてしまったのはおそらくゼロの人。それらは無秩序への軽はずみな防御でさえ、瀆聖への忠誠を嘆くこともない。さらにいえば、転がされた均衡が透けて見えていたにしても、閉塞は見限られた頽勢への従順さを物語っているに過ぎないだろう。それでも踏み越えられたロケットの残滓をさまよいながら、螺旋のポエムを色付けして、おそるおそるのシャッターを押し続けていたのは誰のためだったのだろう。

 

 

 

 

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