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与えられた指定席は辻褄のあわない非の冒頭

音言遊戯帖第85集

 

  

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❏ 2011.11.28-12.17

❏ Пять восьмидесятый том тетрадей для игры звука слова

 

 

Девяностый том тетрадей для игры звука слова Звук,звукозапись,стихи,Фото.и дизайн:.ОНЮГИ. Программное оборудавание, Cakewalk/MUSIC CREATER 5. ZOOM Handy Recorder H1.Shure SM57 микрофон,Cardioid DM-876S микрофон и Yamaha MV802 Хроматической насторойка,MT-1200,TU-12H. Зписался на звукстудии ругнои работы ОНЮГИКАН. 28 Ноября~17 Декабря 2011.  URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/ Блог :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/ 音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/ Email:onyuugi@infoseek.jpMusic,recording,poem,photo and sleeve design by onyugi. Recording application software Cakewalk/MUSIC CREATER 5. ZOOM Handy Recorder H1.Shure SM57 microphone,Cardioid DM-876S microphone, and Yamaha MV802. MT-1200 Multi temperament tuner,Chromatic tuner TU-12H, Recorded in The Handmade Studio ON YUGIKAN. 26 ~23 December 2011.  URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/ Blog :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/ 音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/Email:onyuugi@infoseek.jp

使用楽器・音具 Музыкальный инструмент/Звонкои инструмент

 

 

ギター6・Electric acoustic guiter(ovationNS781-5 86)

ギター3・Electric acoustic guitar(Aria・AMB-3)

フレーム太鼓

YouTube

 

6:38 5:42  9:00  5:48  4:18  6:16  7:35  5:12  4:38  7:37  8:39  7:42

 

Общее время звучания Total time 79:02

各曲には長い沈黙が収録されています。ご注意ください。

与えられた指定席は辻褄のあわない非の冒頭

 

与えられた指定席は辻褄のあわない非の冒頭、といえるかもしれなくて、引きずり込まれた泥の中には昔のトンボ。悲愴は皮相なだけにより悲愴かもしれないが、打ちのめされた石ころは救われるはずもないだろう。信号を無視して通り過ぎる自覚もないのだから、手開きのドアは二重の蓋に補色を地下に仕舞いこんでもいる。微細な分割は世紀の初発にスペルチェックされたにしても、どこまでの暗がりは吹き抜けのコーヒーカップさえ硬い笑顔に変えてしまってもいる。刻まれて、不意打ちを計算していたのは道端のギャラリーの領域に違いないが、後ろの電信柱をベッドにもぐりこませるには怠惰も必要だ。

 

アスファルトを一粒ずつなぞって

 

アスファルトを一粒ずつなぞって、毀損を夜に持ち上げる、そうした裏返しの慈愛は可能性に接続されている。思い出すことのできない白紙の印画紙に、斜めからの光はアルゴリズムの形態素を浮かび上がらせて、きっと、小船に運ばれてゆくのだろう。裏側がこんなにも口癖は「香水はなんにもいわない」だったとは穴の開いた美容室。:は逼塞した弾く光の書籍棚に黄色いペンを走らせてもいたが、あまりにも硬直した矢印記号を結節させてもいた。屈折も欲しいところだが、月に一度のフランスパンは出てきたばかりのロールキャベツにはかなわないのかもしれない。

 

行きがかりの鏡を砕いて自画像を引き出しに仕舞いこんだのは

 

行きがかりの鏡を砕いて自画像を引き出しに仕舞いこんだのは、手を触れずに奏でられたスクリャービン。無防備に虫を這わせて詩にするのもいいかもしれないが、韻を踏みながら絵の具を流すのも非の劈頭というものかもしれない。慈雨はいくつかのレ点のつながりでもあったし、新しい走査への「オノマトペ」でもある。それまでの金科を捨ててダンボールの立方体は狭い空白に吊るされてもいるし、半分切れかけの19世紀を瓶詰めにして氷の街に並べておくのも役場は中心だ。レスゲアードの粗忽はいまでも有効性を分析の撞木を限界させて、開かれたままの手帳の隅にやはり虫は這っている。

 

明日見た三角形を追いかけて

 

明日見た三角形を追いかけて、赤い口のカレンダーは塗りつぶされているつもりかもしれないが、隙間にする。トリコロールは覚えがないと月に一度のフォークを足音に重ねてもいたし、ホースがこんなにも電話だとは温度計の構築はHでもある。あきれられて、ブリキの音楽室に溜め込んでいたパイプの煙は角のクロポトキン。キトラはいつか1350的準際の雪の刺激に味を覚えてしまったのだろうが、蓋は何のためにあるのか自らを説明することができなかった。ドラム缶はでこぼこにされて太鼓にもなるし、意俗は田んぼの美術館に回路を混ぜて、厚塗りのカラスを逆さに見続けている。

 

へこんだ黒い月を裏切りのファイルに変えて

 

へこんだ黒い月を裏切りのファイルに変えて、膝に包まれていたのは思わぬ誤算だったかもしれない。渺への道は回収された1万5000部にも満たなくて、刻まれたガラスがレンズにとりかえられるのは行き過ぎた手術だったような気もする。それでも、見送られたスカーフのよそよそしさは離れることへの耐えられなさに逆方向を向いたままだったし、さかのぼって届けられたマガダンへの迷走はいつまでも蓋がこわれたまま、それでも海峡を越えずにぶら下がったままだ。だからといって、懺悔は秘密の公開状にもぎ取られたままのグラフ図法に刷り込まれていたし、次元を移しかえたシャボン玉に映りながら壊れている。

 

日付け変更線への憧れに蓋をして

 

日付け変更線への憧れに蓋をして、工事現場の光の中を急いでいたのはプリズムの心臓。明滅する:を懐にして「こんなはずじゃなかった」をやっぱりメモし忘れていたのは紫花火への路地裏の決別。精神的に離れることよりも肉体的に離れることが先に求められることのつらさを知るには、雪の電車は寒すぎたし、背中の鞄は重たすぎた。夜想への密度はあまりにも近すぎてもいたし、振り返る時差さえ与えられることのない凍えたコンクリート。その凝結への決意はいまでも川面のメルカデルに苛まされているのかも知れない。と、逃げ道を用意したつもりで偶像への逃げ道を失ってしまったのは迷宮に上書きされた人。

 

要約された日曜日の午後への沈黙が

 

要約された日曜日の午後への沈黙が、帰納への付着のまどろみだとしても、河岸は震えてなどいない。仮に直進への屈折を身にまとったにしても、準備された祭祀はただ一度のふたたびを訪れてもいたし、踏切への皮相を歩き続けてもいる。ただし、これらのつかの間の負としての、ひっくり返された抽象性が人の形をインクに流していたともいえるのかもしれない。ならば、そこだけの焦点を見定めたはずの遅滞が、実は空回りのエゴン・シーレだったのかもしれない。まみれた泥の行方ははかりしれないにしても、飛び交うアンテナの苦々しさだけは曇天に似合っていたともいえるのだろう。

 

いつのまにかの美学は渦巻きのビー玉

 

いつのまにかの美学は渦巻きのビー玉。残滓の5秒は明かされないままの手紙としての帰納を求めていたにしても、増長されたソローキンに虚栄はないのかもしれない。ふさがれた格常勤の、その蠕動の滑らかさは古びたビルの一室に飛び回ってもいたし、まして、瞳は作成された公文書の分厚い鉄の扉に思いを寄せてもいる。納まるべき現代はいまだに濡れた水の水面に映りこむのをやめて、オールドタウンへの坂道をむしりとっている。海の真ん中を争うことの不毛は、実は天井に掲げられたピアノの椅子に過ぎないが、国境へのゆるやかな淀みは秘密の表意文字に満ちている。

 

もう忘れてしまった玉の手箱の

 

もう忘れてしまった玉の手箱の、ミズリーの水道管に流れているのだから、電波回路も気づかされてはいないのだろう。目深に落とされた7ヵ年計画の待ちくたびれたモンタージュからは、とろけた破裂が仲間を悲しんでもいたのだし、すでに積分された進捗具合をカレンダーの虜にしている。おそらくは華麗な黙視はむき出しにされた法廷の鏡として、その日のなぐさめにピロティーへの焦りを紡いでもいたのだろう。あることのあたりまえさはいまさらながらの、教室に置き忘れてきた生きることへの通行手形でもあり、干上がりかけたカスピ海のわずかばかりの青みの移動のはかなさでもある。

 

撤回はコラージュされた中間言語にもおよばずに

 

撤回はコラージュされた中間言語にもおよばずに、D箱の蓋を朽ちかけている。怨嗟はその本質さえも正当性に変えて、怨嗟の意味を喪失している。繰り返されてはならないと、思うことすらなかった時代のある地点に、それは乱された色層の急ぎを凝結させてもいる。だからといってふたたび返された魚の目には、涙の塊が眩暈に過ぎなくて、二重の雨の白さをうろついてばかりいるのだ。くゆらされた音階の定型性はあたりまえさをもくもらせて、ありきたりの備忘録にもぐりこませようとしている。数えられ続ける恐怖を肌に刺しながら、内務説への審判は齧りつかれたラジオの微振動の息を呑んでいる。

 

碍子のかけらを集めて200Zに連れてゆく

 

碍子のかけらを集めて200Zに連れてゆく、その過程への文示唆への方位はまるまっている。床との凸レンズに置き忘れるために記帳された停留所、としての、のの入手は音のない映画を見続けることの悲哀にも似ているかもしれない。無謀さはまだ一人でいることの通読が許されたわけではなく、時刻への倫理的選択を提起してもいたのであり、浸透する。磁力の誤解をすでに眠っている頽勢を目印にされたホチキスのこちら側の理想でもあった。ついと、埋もれた古典的追放者の旅団はありきたりの言語を一般化して、その他を涜していることに気がつくことがないのかもしれない。

 

青白く割れた顔を半分月にくっつけて

 

青白く割れた顔を半分月にくっつけて、アメンホテプの二枚鏡をヴァイオリンする。少しだけ首を出した日付け文字の軽やかさに位格を紡いでいたのは、角度の知らないままの泡立ちの行方でしかなかったが、ビオメハニカの鞄はあまりにも古紙の戯れの匂いに似ている。だからといって、鳥瞰が魂への裏切りとして充填されているわけでもなく、赤冷めた公理を数字の欠損として不安に陥れていたのはゴム毬への指嗾というべきだろう。望まぬ埋葬は忘れられてはならないが、忘れてはならない必要もないほどの償いは、いつになったら針金の街路樹を染め抜くことができるのだろう。

 

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