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開始はアスファルトに引かれた冷気を白い線にして 音言遊戯帖第80集

 

  

     Начало должно сделать белым холодом линии

     потянутым, чтобы асфальтировать

 

❏ 2011.4.03-5.04 

❏ Восьмидесятый том тетрадей для игры звука слова  

 

 

Звук,звукозапись,стихи,Фото.и дизайн:.ОНЮГИ. Программное оборудавание, Cakewalk/MUSIC CREATER 5. Shure SM57 микрофон,Cardioid DM-876S микрофон и Yamaha MV802 Хроматической насторойка,MT-1200,TU-12H. Зписался на звукстудии ругнои работы ОНЮГИКАН.  03 Апреля~04 Мая 2011.  URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/ Email:onyuugi@infoseek.jp

Music,recording,poem,photo and sleeve design by onyugi. Recording application software Cakewalk/MUSIC CREATER 5. Shure SM57 microphone,Cardioid DM-876S microphone, and Yamaha MV802. MT-1200 Multi temperament tuner,Chromatic tuner TU-12H, Recorded in The Handmade Studio ON YUGIKAN. 03 April~04 May 2011.

URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/  Email:onyuugi@infoseek.jp

使用楽器・音具 

Музыкальный инструмент/Звонкои инструмент

 

ギター6・Electric acoustic guiter(ovationNS781-5 86)
ギター8・Acoustic guitar(Fendar・MA-1)
錦石

YouTube

 

4:19  8:30  3:58  5:00  5:37  6:57  4:41  7:40  5:56  4:26  6:23  4:42

Общее время звучания Total time 68:07

各曲には長い沈黙が収録されています。ご注意ください。

開始はアスファルトに引かれた冷気を白い線にして

 

開始はアスファルトに引かれた冷気を白い線にして、過箱への崩壊を準備してもいる。日常性は非6桁の分母に逆らうこともできずによそよそしい信号機の律動を重ねている。潮流はときとして落下缶への糸車が砂に噛まれてはいたが、それでも、青い輪転機はガラスの廊下をコツコツとしたまま語ることのない扉を叩くのだ。回れ右のつもりで後ろに下がってしまった鳥のように、順不同の隊列は氷の上を匍匐してもいたし、その開かれた瞳こそは実は非日常でもなかった。文字面を撫ぜながら唇を噛みしめていたのも他人事ではないし、気が付けば床は白黒のネガのように歪んでもいた。

 

こそばゆい路地を「ニュースを申し上げます」がたむろして

 

こそばゆい路地を「ニュースを申し上げます」がたむろして、目玉焼きの公式見解を議論してみてもはじまらない。と、考えて地下室のバンドネオンに言葉をくっつけて、ヴォリュームを絞っていたのは口ずさまれた金環食だったのかもしれない。背負った自画像を自分で見ることができないと気がついたのは3歩も歩み出した後だった。部位を装着する瞬間だけを拾い集めて、「おみそれしました」を着飾って踊ったら、クジラかもしれない。見ようとしていた通奏低音はドローンときっと似ていて、少しばかり残った香りも麻痺したコーヒー豆よりは素敵かもしれない。

 

タイヤの溝を象って

 

タイヤの溝を象って、タイヤの溝に住んで、キャンバスに塗りたくった回転が懐かしくもあり、突然のあやうさに譲渡されている。だからといって、どうというわけでもないけれど、腰を引きながら少しずつせり出してくるキリンのように、いつかはどこかに行ってしまうのだろう。狭隘さは似たもの同士の焦りかもしれなくて、土のあたたかさを分かち合う痛みでもあるのだろう。あと3歩のところで戻ることはたやすいけれど、あと2歩進まなければならないのは誰のせいでもないはずだ。象られた住処の凸凹の移動は、疲労の金属に隣接したまま口を開いて閉口している。

 

Bへの思惑は色相の疑いでもあり

 

Bへの思惑は色相の疑いでもあり、意図箱の部屋で銀ネジを転がしているアルフィーフへの孤独でもある。引き摺りながら事実への郷愁をひけらかすでもなく、落書きの匂いに惑わされることもなく、貶められた体制への忠誠を投げ捨てる。併走する世紀への塩素の怨嗟もほどかれて、気ままに電話をかけるのは好きではないかもしれないが、ちぎれた思念色した堂々巡りは準備された蹉跌でもあった。句読点は疎意味をいまでも水の底から光を眺めていたし、論理的仲裁は言葉にならないままに、白い教室に立ち尽くす。願われて、それでも、行き場を求められた浄化の虚しさに、おそらくは便箋に流れる雨だろう。

 

裸形のガラスを追いかけて

 

裸形のガラスを追いかけて、重層化されたくれの途方に跪いているのはおそらくはすりかえられた周期説。黒点を見つめて虫の時間を計っていたのはヤコブソンへの懐疑でしかなかったけれど、床の光に気を取られたまま隣の駅まで急いでいたのもなんだかもったいないような気もする。団扇太鼓のか細い擦り傷をなぞりながら、東北の町を「な行」の詩人に仕立て上げたのはおなかを空かした灰色のニンジン。歩いているバスを装って、そこしか覚えていない幻影を持ち続けていたのはなぜだろう。清められた水はいつからそうしなければならなくなったのか、ピアノのペダルと握手している。

 

観覧車は折りたたまれた自動のウサギ

 

観覧車は折りたたまれた自動のウサギ、だとしても、散歩に行ってしまったのはあいうえおだったし、地下室のトレモロでもあった。言葉は少なくて、塊状から漏れ出していたのは右へ習いの鏡だし、丸と線とに魅せられた色彩のうたた寝でもある。その寂しげな壁の小じわにも話しかけることができずに、横断歩道を急いでいたのもなんだか気が引ける。映画館はそばにあったけれど、そばにあることと見に行けないことがこんなに近いものだと知ったのは曲がり角の看板だった。だからというわけでもないが、金曜日への不安はきっと嘘のような報告に満ちている。

瓶を眺めているうちに真空パックに入っていて

 

瓶を眺めているうちに真空パックに入っていて、溺れかけていたのはナーツィヤへの入り口。そのまま重たい疑問の符を背負って虫眼鏡を探すのもやぶさかではないが、やはり、相似は書斎の交差点を待ちあぐんだまま、鍵の、瞳の、揺らぎの人見知りを拒んでいる。はじめにもらったはずの誠実を、車輪にくくりつけてブラジルのリズムに乗せてみるのも一考かもしれないし、痩せた想念を奮い立たせるのもいいかもしれない。とはいっても、高架から見える一本の木、その一途さには到底かなわないと、いつか齧っていたのは「よ」という心拍の欠けていた廃線電車かも知れなかった。

 

行き止まりのない龕をたずねて

 

行き止まりのない龕をたずねて、馥郁の送信を切り取って貼り付けていたのは郵便配達の人。つまずきが喜びへの石の転がりへの繰り返しだとするならば、異国の絵筆は逆立ちへの素敵なあいさつかもしれない。浮世離れは得意ではないけれど、と微笑んでいたのもなんだか暑い暮れた途方かもしれない。壁の、その彩の装飾は剥げ落ちて、それでもわれわれに残そうとするものはいつかは埋葬されてゆく太陽だとしても、道端の試金石はいつでも目の前に転がっていて、雨に満たされている。そうして、循環する文字性としての想定されたデッサンと一緒に解析を待つこともなく静まり続けている。

 

もう一度考えてみる「穴の開いていないポケットの月」と

 

もう一度考えてみる「穴の開いていないポケットの月」と、スタッカートの駅Uターンへの回廊を念じていたことを。緑は東のくびきへの解析を漂わせて、鉛の手押車を引っ張っていたのも、おそらくは真摯な真空回路だったに違いない。帽子はいつでも手元に置かれて、日がな眺めることもできたし、口をひらいた魚の瞳を覗くこともできたはずだ。温かいレンガは冷めたとしても、心臓の中を徘徊しているつもりもなく、ぼやけた焦点は再びのレンズにくもらされる。そして、日常の点検はおさおさ怠りなく遂行されて、一つの次の一つを壊れかけのコーヒー豆のリズムのように、リズムが沙羅になっている。

 

半分口の開いた「知らない」を通り過ぎて

 

半分口の開いた「知らない」を通り過ぎて、そのまま貝殻を拾って切符したのは出口からの飴色だった。プラスは過ぎないと壊れた言語を携えるのも性に合わないと、跋扈しているのが睥睨というものだと教えてくれる隣人もあるわけでもないし、批評の意味も頓の珍漢でもあるし、400円くらいはお安い御用だ。悪いときこそ真価が問われるなどという陳腐さもさることながら、富士山の前の観覧車を糊付けしてみるのも一考かもしれない。だから、動因は傷みの重なりばかりをもぐりこんでいたちり取りの誤解にもおどおどしていたのだし、マンホールから昨日を探しているのも筋のいい冗談だ。

 

レールの白さの刻みが途切れようとするとき

 

レールの白さの刻みが途切れようとするとき、いつも迷うのは白みはじめた胸の痛みと蟻の塚。手に吊るされた生きていることの凝結が雨後の冷気にさらされていたとしても、おなじみの矩形は、でも、そこに歴史的意識を培うわけでもない。涸れと呼ぶにはその停止は躍動に停止もしているし、捧げられた宴のありえない文脈に憤る必要もないのかもしれない。かつての水の粒子は、いまは黒いキャンバスに溶けて、見つめられることの忸怩に思いを募らせる。開始されて、階梯を行くのはたやすいことでもないが、道具立てを見失う辛ささえ拡大された矜持でしかないのだ。

 

資質は離距への音素への再生を接近させて

 

資質は離距への音素への再生を接近させて、信号機の赤いへの論理的整合性すらも舞台から取り上げる。葬られた者はそれでも連符への忠誠を失うわけでもなく、形態素でもある。?>は歴史的意識を持つこともなく創生することは可能かもしれないが、ヨーロッパへの窓のしたたかさには陰鬱な図像学が停滞してもいる。それでも、気球はシェーンベルク的思索の散乱を青色に変えて、そ知らぬふりをして見せるのだ。残された焦燥は凍りついた言語の無垢を拾い集めてもいたし、遡及に溺れかけた電図を首にかけながら、二重写しの虚像の手ごたえを2ミリのものさしで計ることができるのかもしれない。

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