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空が低いからみんな蛸壺に入って

 

音言遊戯帖第104集  

       

 

 

  Каждый входит в осьминога, потому что небо низкое

 

 

❏ 2018.1.5-3.12

❏ Сто четвертый том тетрадей для игры звука слова

 

Звук,звукозапись,стихи,Фото.и дизайн:.ОНЮГИ.

Программное оборудавание,Studio One. ZOOM Handy Recorder H1.MT-1200,TU-12H. Зписался на звукстудии ругнои работы ОНЮГИКАН.  5 Января  ~ 12 Марта 2018.  URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/ Блог :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/

音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/ Email:onyuugi@infoseek.jp

Music,recording,poem,photo and sleeve design by onyugi.

Recording application software Studio One. ZOOM Handy Recorder H1. MT-1200 Multi temperament tuner,Chromatic tuner TU-12H, Recorded in The Handmade Studio ON YUGIKAN. 5 January  ~ 12 March 2018.

URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/ Blog :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/

音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/Email:onyuugi@infoseek.jp

使用楽器・音具 Музыкальный инструмент/Звонкои инструмент

ギター5・Electric classic guitar(APX-7CN)

リップクリーム(緑)

YouTube

1:17 0:47 0.33 1.01 0.50 0.37 0.56 0.52 1.05 0.27 1.06 1.30

Общее время звучания Total time 10:51


各曲には長い沈黙が収録されています。ご注意ください。

 

 

空が低いからみんな蛸壺に入って

空が低いからみんな蛸壺に入って、蛸壺同士はなかなか関係が結べないらしくて、露呈した逆説も対立の5項をより複雑にしている。常軌はいつのまにか逸されて、自分の知らない国を情緒的に軽やかにもてあそんでいるだけなのかもしれない。わずかに残された砂粒のもどかしさを少しずつ残しながら、曲がり角へのコーヒーショップをマーク・ロスコへのおみやげにしていこう。バーコードはいつだって、それ自体を図式化させて、普遍的理性自体を自己解体させてしまっているのだから、街中の写真館に飾られていたのは夜に残された真綿のぼやけた瞬間でさえもある

呼び捨てられた背馳のあとに

呼び捨てられた背馳のあとに、滞りの傷をさえぎり続けてきたのは整えられた不自然でもあったが、類理の錯視には象形すら憶えてもいる。限られて、想念は指坂をゆっくりと、それでもひとつの音を探してもいたし、それしかできなかった。克服されるべきはそれらの感覚の行方であり、蓋を開けなければならなかった理念というものだったろう。通りには面して、なお、発信し続ける意味もないわけではないが、鏡像の奥へと踏み込まれてゆく数理パラダイムはパンくずの甘みを心得てもいる。とするならば、凝り固まった終息は陥穽の瀬戸際に立ちながら、師資相承を克服できずにうごめいている。

祝宴への廃置を寡占状にして

祝宴への廃置を寡占状にして、記述は裏腹の即興をИにし始める。合理的事由を示すことが在なのではなく、自己決定の困難性を諦観することへの混乱が不自由というものなのかもしれない。脈絡を失った小鳥のように、鏡に向かって飛び続けた果ての骸のように、1500円で済んでしまうのは逆さにされた暴論というものだろう。過去をむしりとって、そのまま地上への同等性を前提としての原初性は疑われなければならないし、意味のコードに隠された因果律を19世紀のせいにしてはならないだろう。そこまでと知らされながら、黒い口をあけた竪琴の亀甲の調べを聴かされていたのはおそらくモノコードの噴水だろう。

ムーサイへの忠誠を過足の失言に陥穽させて

ムーサイへの忠誠を過足の失言に陥穽させて、夕べに雪に集めた枝を拾い集めて、なお、二重基準の影絵を吸い込み始める。それらの、潦の行方をいまだに推し量ることはできえないにしても、地を這う点をたどってゆけばその日に出会うことができると楽観していたのが懐かしくもある。場を理解することの多少の困難はあるにしても、曲解は益されてカップの染みとしての赤道をあやうさの薄笑いに変えてもいたし、眼差しには回廊に残されて、石の決意を目論む人の頭上の轟音を怯えさせてもいたのだし、言ってよければ、「済み」として灰の空に固定した変則機でもある。

破砕を暗礁しながらスタンドの仄かさを寂しがる

破砕を暗礁しながらスタンドの仄かさを寂しがる、それらの日常の後退を視野に知れながら、「3」の回転をモノクロームする。XBVはその場限りに冊子の片隅にしまいつつ、訪れるはずのない装飾区を地上に検索し続けてみる非情に焼け爛れている。あの日が幻ではないことすら、焦げつき始めた鉄塔の溶解を見届けながら、泳ぎ始めたばかりの解離性を何度も解析して、何度も石膏に埋め込んで、何度も並べ続けている。無償という尊さは失われることはないが、睥睨された異空間の、それでもこぼれてくる回想を受け止めながら、先へと細って行く晦渋を紐解けばいい。

飛んでいる籠と一緒に籠の中を飛んでいる鳥にあこがれて

飛んでいる籠と一緒に籠の中を飛んでいる鳥にあこがれて、海を運ばれてゆく金魚とどちらが悲しいのか。右ねじパイプの終結さえも、くすんだハーモニカの子枯れを眩しげに空閉じにして、、の行方を矩形の鏡に映しこんでみる。頭部に傘型のついているものが転がっていたにしても、あの然は乗数率を蓄積された恬淡のにぎわいに転轍し続けるわけにもいかないのだ。ための葬列を射程に入れながら、きっと、向こうの町までのノコギリを田んぼに隠し始めていたのは誰の焦がれだったのだろう。打ち鳴らされるペダルの屈折を嗅ぎわけて、おそらくのつい昨日までの山が消えていることに転がっている

突然という84審級への顕在的要素を海岸への迷路に仕立て

突然という84審級への顕在的要素を海岸への迷路に仕立て、ほろ苦い砂の道へのモノクロ写真をタブローに変えてゆく。誰が見るのでもないのだから、そう思いつつも凛として、消えてしまっているのかもしれない憑依を捨てきれずに、電信柱に頭をこすり続けている相互包含関係たちと、繰り返せば断面が崩れてゆく。半円を描いて離れたはずの、ガラスの造型への執着を彩度の鳥瞰を確かめながら、不安定さを味わいつくしてもいた不等価性を不定形生物としてやはりタブローにしていく。逸れてしまうに越したことはないかもしれないが、プラハの城には白い蜘蛛が名前を埋没させているらしい。
 

​嶌背jへの鏡像を曲解しなければならかった交差の

嶌背jへの鏡像を曲解しなければならかった交差の、公園の脇の調律は伏し目がちの逆ネジでしかない。硬質さへの手ごたえを瀬戸際の開かれにしても、ざわめきへの無人はとりとめのないインデックスでもあったし、冷気の鳥への口承でもある。それらのあたりまえの疲労の制度からは、音の欠けた論理があらわにされて、次の曲想を待ち望んでもいる。「を」、偏光につなぎ合わせてゆけば、海への逸事を忘れてしまうわけでもなく、緩慢な指板を突きつづけてみるのもひとつの解ではあるかもしれない。42はそれでも、スライドの心地よさをアルモニコスの切断にあずけられてもいる。

 

こそばゆい離籍の枯渇に歴史の流失を知らされて

こそばゆい離籍の枯渇に歴史の流失を知らされて、双方向に転換してゆく機制への草案を幻視している。月影は内属する韻律を物語の全体性を距離しかけて、水の底の概念図を数日の降り続く四蘊を象限させてもいる。それでも黒い人魚の曖昧さは崖下の徹の俯瞰を自然なものとして受け入れていたのだし、右に曲がりかけてのコーヒーショップの推論を物理的身体として垣間見せることもあったのだ。いつか来たように、なおかつ、よそよそしくもあり、牛図のBeを与えられた課題として稼動態の責務にしてしまうのはお人よしというものだろう。

%する980223的懐疑性の鵠失をまたいで

%する980223的懐疑性の鵠失をまたいで、的を的として無前提させてみたところで的を横断することは可能なのだろうか。リストを喪失した血脈センサーのように、冬の高層アパートは誰が洗濯物を内包させていたのかもしれないし、物語技法の間の征服欲には予備的可塑性さえ外部化してはばからないという。「いらんこと言うな」と最短距離を内省させられて、それでも、ステロイドにまみれた天空の割れ目を7186に出没させて、その気になってみるのも致しかたない即時的挙動の不測というものなのかもしれないが、異間差に溺れかけながら、問答を繰り返している実存的遷移がへし折れている。

屈折率の銀色の仮面に挺配して

屈折率の銀色の仮面に挺配して、水脈の抵抗を動員していたひとりのタンゴの兵士には、ガラスの3重性が逃げかけている。あらゆるカスケアードにもふさがれて、感興を露営したウサギの再編をうたた寝の逓信が20世紀の言語を否定してゆく。絶対性は常に控えめさを失うことはないが、喝采を層偽する構造の枠組みにさえ、忘れられた中間地点の祝祭的絶望の日々を再帰させていかなければならなかったはずでもあった。対外的周縁の乱数を意図せざる操作に置き換えて、それでも意地を張るアルゴリズムへの執着を脱ぎ捨てて、か細い電飾の吐息に風を聞いていたのは唐突の排斥地点。

 

夢送瑳とは不実の亀裂解へのアスファルトであり

夢送瑳とは不実の亀裂解へのアスファルトであり、記憶されざる離反への微性でもある。コードをされた分解の廃棄への慈しみを塑像に打ち付けて、穴のかけた天井への祖形を元の位置への訴求性にエンドレスする。標されて、それでもの櫂を凪にしめやかに陥れ、砂の流刑を見送ってもいる。その底からの廃際を背後に導きながら、R字形の庭には氷室の星が舞い降りる。さらに、<の矩形をなぞりながらの石伝えには糧にされて間もない息吹の欺瞞が軸心されてもいて、その浸潤への怯えを霜降への香りへと導いてもいる。らしくもなく、通時の誤謬をやはり無謬になぞらえていたのは非報の差している。

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