top of page

不悉の者を碌際に穿ち

 

音言遊戯帖第103集  

       

 

 

  Он сверлиетё о недостаточности неясно

 

 

❏ 2017.11.26-12.31.  

❏ Сто третий том тетрадей для игры звука слова

 

Звук,звукозапись,стихи,Фото.и дизайн:.ОНЮГИ.

Программное оборудавание,Studio One. ZOOM Handy Recorder H1.MT-1200,TU-12H. Зписался на звукстудии ругнои работы ОНЮГИКАН.  26 Ноября  ~ 31 Декабря 2017.  URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/ Блог :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/

音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/ Email:onyuugi@infoseek.jp

Music,recording,poem,photo and sleeve design by onyugi.

Recording application software Studio One. ZOOM Handy Recorder H1. MT-1200 Multi temperament tuner,Chromatic tuner TU-12H, Recorded in The Handmade Studio ON YUGIKAN. 26 November  ~ 16 December 2017.

URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/ Blog :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/

音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/Email:onyuugi@infoseek.jp

使用楽器・音具 Музыкальный инструмент/Звонкои инструмент

ギター6・Electric acoustic guiter(ovationNS781-5 86)

ギター3・Electric acoustic guitar(Aria・AMB-3)

石(緑)

YouTube

1:38 0:58 1:14 1:10 1:09 0:44 2:15 1:24 0:30 1:00 1:01 1:57

 

Общее время звучания Total time 14:57


各曲には長い沈黙が収録されています。ご注意ください。

 

 

不悉の者を碌際に穿ち

 

不悉の者を碌際に穿ち、無自覚な無前提を前提としつつ方途をまさぐる。それらの域静の必所には32205Hの微細がほどこされているにしても、与えられてもいないのにという不服を調停してみる。そして、さらに、毒のある釉薬をひとつの形態素にかえて、街角への連鎖をほのめかしているのは、凍りついた時計の看板。居続けることへのこだわりをぬぐいきれなくて、小豆色の壁の前に立ち続けているのもなんだか妙な姑息でしかないようにも思う。それでも修羅に化けた時点の、その昇華を夢見ざるを得ないのも致しかたのない「われら」の3VDs性に過ぎず、夜はきっと冷えきっているだろう。

 

行ってはいけない機能不全と

 

行ってはいけない機能不全と、窮すのポリフォニックをプルタブに匙して、ロベールのかたくなさを許容の範囲などというつもりはないが、「ぬ」でもある。先行するすべてに叛旗を翻すことなどできないし、「すべて」はそもそもそれほど安易なものでもないはずだ。どこにだって、処理を待つピチカートのつま先に距離を傾けて、木々の枝々をかすめる抽象性を逆説の要素に還元してみても、邪性をぬぐうこともできないのだろう。60年から75年への思索が果たされたものは、後の思索を促す意味もあるし、その同時的な沈黙は沈黙の意味すら思索の実りとして冷蔵庫に大切にされている。

 

異の貼殻を少しの縁取りにして

 

異の貼殻を少しの縁取りにして、限られて、「街路はわれらの絵筆」は0年のストリートへと歩き出し、「思想」と呼ばれ始めてもいる。頓挫は2艘のものでしかないと知らされて、車軸の不安定さに寝転んでいたのは青空の禁句。痛点を字数に辻褄を合わせて、川の隣を走る夜の静かな諍いを、そばに立っているのも懐の砂時計。下敷きにされた格動詞表を角から覗いてみたのは窓外の吹き所でもあるし、音を殺したままの音楽でもある。音楽を楽しんだことは無いと嘯くのを楽しんでみても、すでに地球はオンライン化されてしまっていて、とはいえ、太鼓の言葉だってあるのだから、葡萄の地平線を見たくもなるのさ。

 

箱の中のエスペラントを動き回る皮相に

 

箱の中のエスペラントを動き回る皮相に、過剰なルビは線性への外部でもある。以上は浮き彫りにされたカガクへの第二のドックでもあり、停止し続けている操舵でもある。常軌はそのままの擬態を接岸の参照点を崩して、輪になった中傷を走りながら傷つけてもいる。焦がれた濃霧の逼迫性はどこまでも正当化された、距離に満ちた違和感でもあった。それらの次元簿をもう一度分析するには空き家は厳しすぎる」の中でやはり失速してしまう。だから、構造の廃棄物を続けてみるのも日常の塞ぎというものであり、粘質を帯びた閾値への懐疑でもある。

 

生活と渾然となっているのだから

 

生活と渾然となっているのだから、首に巻いて蝶番を飛ばしてやる。改札へと向かう路地の巨大な壁画にだって憂さ晴らしをする権利があるのだから、たまには質疑応答も野次馬だ。奥から出てきたのはそのうちの家具だから、「35」を、やはり、そのものとして語りを繰り返し、使用方法を間違えている。あのときの徘徊を肝に銘じて、踏み切りを渡る前に真電を決断したのは誤解された沈黙にすぎないかもしれないが、間を数えて、考えてばかりいるのは整理されないままの、過多でしかない。問題はそれでも残余の咆哮を飲み込んで吊り下げられては、マニュアルどおりにご挨拶をしている。

 

空が地下の水曜日におりてきて

 

空が地下の水曜日におりてきて、そのまま戻れなくなってしまったから、もう一度地球を少し動かして序数的効用理論を散逸してみる。固定された定式化は、画面を流れ続けるままに靴底の硬さを時刻の気配として教えてくれる。どれほどまでに求めようとしても、時点t+T期に均衡してしまうものならば、「青写真」は脈流の微力に押し流されてしまう。ということであるならば、しかし、それらの不安定な仮の措定が幻に過ぎないとしても、それぞれの思想は平衡したままの現在を生きている。閉じられて、それでも次の日の箱型の朝には夕べの体温が残されている。

雲と泥の間の×を差して

 

雲と泥の間の×を差して、タイポグラフされたマルクスのお墓に行ってみよう。?の明示性は、それこそ制覇されているのかもしれないが、凸な剰余価値の利潤への転化もソフトな予算制約に涙を流して待っている。帰属するシベリアの再帰性にだって、今は箱詰めにされた金魚鉢が大事にしまわれているし、裏返って、金魚は相変わらず苦しそうにしているのだから、何とかしてやろうと思うのは金魚の自由を奪っているもののわがままな情けというものだろう。外された街路への二重基準を、後知恵からの抽出されざる捨てられたカレンダーにそのままくるんで相対的希少にデクレッシェンドしている人型の指紋。

 

サナエを舫いのアドマーニにして

 

サナエを舫いのアドマーニにして、訪れた規格外の2行を次の手紙にしたためる。いつもの積み重なった光を眺めてみても、特殊化された魚の相対的希少性の帰属性を理解できるわけはないのだから、不安をかたづけ続けるインクの染みをなじませておくべきというものjだろう。さりとて、開始された境域の曖昧さを競い合っても投下されたものはできたての窓から下を覗くことしかできないのかもしれない。それらの不遇を文化基地への祝祭に変えるには均衡のプロセスはあまりにも不遜ともいうべきであり、高架下のギャラリーをひとり占めする導出性もあるわけではない凪だろう。

 

忘れ物をとりに鍵を忘れて

 

忘れ物をとりに鍵を忘れて、いまここにはいまここにとよくわからないので、きっと即興なのだろう。いつだって、ピアノはкультураのそばにあったし、2時間前の記事でさえ遠いところを舞っている。分類されたものはどこまでも恣意的なものとしながら、それでも使い方を間違えると、穴の開いたメモ用紙にもならない。組み立てられて、論理は喧騒と間違われてしまいがちでもあるし、Lの感傷に付き合うロゴマークも切り裂かれてしまっている。スタンプ台を乾かして、その布地を使って、きっと、淡い絵を描いてみるのも一考かもしれないけれど、きっと、131はそのままだろう。

 

賊という字を見て

 

賊という字を見て、Appliqueを描いてみたくなる。後ろ盾を失った路上の傷のように、読んだこともないユートピアを語りすぎてきたのは自らの責務ではないにしても、Kと繰り返された月影を通り過ぎているのも、やはり、止揚以前ということなのかもしれない。被同系性を収斂させたつもりで、オブラートの響きを散逸してしまっていた紙芝居。いっそのことインセンティブ両立性を鏡に映して、もう一度、静学的なおまじないを砂にかぶしてみても、射程の範囲はねじまがってうっすらと笑っている。それらの非弾力的階梯の画廊を覗き込みながら、吐き出した機制を身にまとい続ける。

 

銀色と銀色の凶器を求めて

 

銀色と銀色の凶器を求めて、その境目の曖昧さを分子にさえぎられつつ、その一粒を銀色と見定める。それにしても、それが銀色といえるかどうかはわからなくて、それでも一定の意味を見出そうとするならば、未成熟を鵜呑みにしたガラスの破片というべきなのだろう。圧倒的多数派の透明性を背景としながら、自立した理性的な主体としての自我を葬送に伏して、冷えた空間からの離脱的回避を夢想していたのは歪曲の逃走論。それらの領域を残余の論理的糧としつつも、哄笑にまぎれた仮面を脱ぎ捨ててみるのも容易なことではないはずだ。

 

持ちつつ離れた瞬間を追いかけて

 

持ちつつ離れた瞬間を追いかけて、自覚のない孤立を癒し続けていることへの懐疑も色褪せてはいる。内的表白への憧れは自覚してはいるものの、それが、むしろ無償の構造的対立を際立たせていたのは、高層のうつろな現在への穏やかな移行。としても、その先の裏道を覚えているわけでもないが、そのときの会話は憶えてもいる。楽観的な見通しを持つには古傷を数えるのに蕩尽しなければならないが、小奇麗な記号論は今でも机の上に散らかったまま。それらを寄せ集めて、ふたたび位置を漕ぎ出すには制度への祝日を、口紅の消えたピエロ・ルネール。

bottom of page