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ボタンの雨が降りかけて  音言遊戯帖第93集

 

  

    Сабирается дождь пугавицы

 

❏ 2014.5.25-11.24

❏ Три девяностый том тетрадей для игры звука слова

 

 

Звук,звукозапись,стихи,Фото.и дизайн:.ОНЮГИ. Программное оборудавание, Cakewalk/MUSIC CREATER 5. ZOOM Handy Recorder H1.Shure SM57 микрофон,Cardioid DM-876S микрофон и Yamaha MV802 Хроматической насторойка,MT-1200,TU-12H. Зписался на звукстудии ругнои работы ОНЮГИКАН. 25 Мая~24 Ноявря 2014. URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/ Блог :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/ 音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/ Email:onyuugi@infoseek.jpMusic,recording,poem,photo and sleeve design by onyugi. Recording application software Cakewalk/MUSIC CREATER 5. ZOOM Handy Recorder H1.Shure SM57 microphone,Cardioid DM-876S microphone, and Yamaha MV802. MT-1200 Multi temperament tuner,Chromatic tuner TU-12H, Recorded in The Handmade Studio ON YUGIKAN. 25 May~24 November 2014. URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/ Blog :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/ 音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/Email:onyuugi@infoseek.jp

使用楽器・音具 Музыкальный инструмент/Звонкои инструмент

 

 

ギター5・Electric classic guitar(APX-7CN)

 

チェロ

 

メディアケース

YouTube

 

1:56 2:51 2:53 3:48 3:03 3:24 4:01 3:00 2:32 4:16 3:54 3:32 

 

Total time Общее время звучания 39:06
各曲には長い沈黙が収録されています。ご注意ください。

ボタンの雨が降りかけて

 

ボタンの雨が降りかけて、地下の戻りかけの方法の読み方は2部以上印刷されていない。年明けのあいさつは明けたところでの会話なのだから、関係はあまたある引用の織物という訳なので、真珠湖は今日も緑の交通整理でいっぱいだ。差し込まれた事業計画の脆弱性を笑う前に、ティーカップよりも構築された未踏の人跡を求める飴玉のエッチングには、中身よりも魅せられていたのは穿孔の観照というものであり、絶対の不安定というべきだろう。したがって、相対化された論理的壷のかけらはそれ自体の説明を要することもないままに、種播く人ははがき大の定型的水彩の創流を欲してもいたのだ。

 

逃走する解除は微熱の誤謬でもあり

 

逃走する解除は微熱の誤謬でもあり、上積み厳禁への恒星qでもある。かつての18世紀の人はその軌道を「わからない」ものとしていたのだし、「わかってしまった」今でさえ、「わからない」ものへの言語をまさぐってもいる。しめやかに中断を許されない魔力への、最良の直角三角形への押されたボタンの深刻さは「わたしには質問があります」に溶け出している。さらに惑星への駐車禁止は手袋の指先に追い込まれたままの自省をデザートにくるんだまま、頬杖をついたナターシャの思惑さえも「お困り」なのだろう。したがって、ошфの挿入された接続詞は不寛容としての大地を掘り返して遠隔している。

 

目覚めの第6潜水式の水溜りに移る電線の黒味と

 

目覚めの第6潜水式の水溜りに移る電線の黒味と、瑕疵に触れる前の譫妄の冷ややかさをストローする。引き裂かれたままの2度目の混濁砂のずれ込みに、Lの不敬の輪郭線が護岸を離れていったとき、掣肘はふたたび2度目の訴責を失い始めてもいる。;はだからと決めつけて、転がり落ちる前に自ら転がり落ちる正鵠を外された的確さに、やはり、蓋、丸みを帯びて目深にコンクリートの公園に持ち上げられている。そして、言葉を見出したとき、ソットヴォーチェはその横顔の不逞をものさし解の分節化を憤ることもできる。捕るかもしれない、直截の、惑星の自動記録を100%にあふれかえる。

 

消えかけた透視のメルカデルの方位を目指して

 

消えかけた透視のメルカデルの方位を目指して、読まれていたのは五線の「そのあたり」であったし、濁りの水門でもある。唐突の塙貝にいきれの盗みに寄り添えば、ここにはновый мир。おそらくは、蓄積の迷走がこねくりまわされて、壊説への再生を余儀なくされてもいるのだろう。曇天を覆う雲は亀裂に溺れたビルのように、横切るときめきの異質を図りながら、それでも、どこかの不安に連れて行ってもくれる。連なる意味は何のためかはわからないにしても、焦りもなく、立ち止まれば靴は方っぽしかないことに気がつくことだってあったのだし、今は蒸留水の中で眠っている。

 

ひとりよがりのカルチュラル・スタディーズのpfと

 

ひとりよがりのカルチュラル・スタディーズのpfと、たった一段の階段の失望への黴の匂いが「×」を辞書に加える。感じる感覚に匹敵する構図概念もなく、ひそやかな倍音は自らの擬態の言外を非電子化してもいる。ならば、中身を取り出し始めた水無しの真髄を、マキリタキの人々と夕焼けを描き続けてもいたのかもしれない。恐るべきたしかさは孤立する数字石としてのベンチ裏からの、偶然の哲学と、表明された幻覚雨としての停泊した巻き船への厳かさのために、泥濘は霧に息苦しげな目覚めを知らされていた。内側に存在することは間違いないと書かれた、起源神話の一体性の装飾。

 

見つめていると粒子の粒の境界が言葉に溶けてゆくように

 

見つめていると粒子の粒の境界が言葉に溶けてゆくように、ポスト・モダンはいつでもポスト・モダンの尻尾を切れないでいる。記されて、取り残されて、アメジストの結晶体を未雷に埋め込んだままの「とうせんぼ」はあかるすぎたポスターではじめて知ることに違いはないが、錯誤は多変量の解析を迂回したつもりで霧の中腹で眠っている。定量は同一性という虚構に過ぎないと、説かれて水砂を握りしめてしまったのは仮の中断だったような気もする。まして、空に張り付いたままの花火たちは、飴色のブランコに地球の表皮ごと剥がされて月の裏側に揺られている。 延伸は隠れ家の予定調和を回避しつつ

 

芯をぬかれたジンメルと

 

芯をぬかれたジンメルと、妄説は直截された明け方の線香花火。落ちていたカレンダーをもう一度拾い上げて、虚構という帰属内容を「おかえりなさい」していたのも子供図書館への道。わずかばかりのフィルムを片手に、隔離された孤立を安定所に交換を求めて、闇実はすべからく「カド」を横切るまでもなく黄昏に溶け始めていた。重層する要因は解明をまつまでもなく、射程の虚栄を「おんぶにだっこ」でもあるし、タイルの路地を抜けて見開かれたビルの睥睨は幸福のカタカナでもあるし、イズム論。構造不況といわれて久しく構造そのものが入れ替わってしまっているのは今という中立。

 

無音からのメガネの大群を鳥に置き換えて

 

無音からのメガネの大群を鳥に置き換えて、遡行の行方を装飾にしているカリギアの土地と、負債は表土のもろさをあてにもしている。ならば、偶有性としての疎外を二重の逆説に変えて、内部環境への間主観性を出口への矢印にしている。点された汚点をそのままに、帰属する虚構の21世紀を虚構のさらに「まま」に受け入れたとしても、受け入れたつもりだけが形容の矛盾を驕りにしているだけだ。それでも、できたばかりの詩集を胸に抱いて、反措定されて、あぶくの中をあがいているのはどこからが異質なのかもわからない船外機。そう、集団的記憶の遠望を穴だらけのスクリーンに映し出しているのも拡散した是非の解釈。

 

固定された耐重力の瞑想

 

固定された耐重力の瞑想と、告解は離反するイントナルモーリの二進数を引き際にして、醸し出された静けさЯへと向かう。ちらばる局所説の閉鎖回路は天蓋の残響をきらびやかな孤立に変えて、なお、その舟Zへの理解を超えようと腐心する。渕は浅く、錆びるままの論理的拡張性を無理やりの飛び込み台への、律する記号式を夜の横断に流し込んでもいる。耳障りは問いかけへの錯視に過ぎないにしても、「はじめて会った」始まりと終わりの沈黙聖を休符だらけの波の残響に移しながら、発車の時刻をうかがってもいた。その倒立の距離さえ、かつての掣肘された大陸の墓堀を昨日に準備している。

 

固形のリヴァイアサンがちりちりばらばらになって

 

固形のリヴァイアサンがちりちりばらばらになって、それでも99.9%の182次元の塵は一般市民への溶融を受け入れることはない。もとより主観的小麦色のレンガ造りのパラダイムが秤の首から覗いていたにしても、+税率は寡占の575を角の書店への坂道へと通低しているのだから、まるい金魚球の頭石は粘土のバケツに乗っているのだろう。しかも、散水された電球金魚の「パクパク」はもったいぶった汚泥の赤いはさみをひっくり返しながら、所定の構築されて、回折された木々巣の後に点いているだけだった。願いはわかるにしても、魔女の箒は、きっと、ひとりで皮を計算しているのだろう。

 

偏在のエーテルを凍結の思弁に換えて

 

偏在のエーテルを凍結の思弁に換えて、「さて、どちらまで」を流動性の不動の均衡に埋没させる。見限られた個の遠隔的な星を逆立ちして歩く文書箱のように、試みられた、凝視された、アルゼンチンの中枢において、水と油の離反を海辺の停留所に飾り付ける。そうして、希望の適用範囲を知りながら、そのむなしさに、さらに沈黙の記録を捧げてもみる。たった50億の孤独を引き受けたに過ぎないにもかかわらず、閉じて、重なり合うインクの香りの水底へのたしかな手ごたえさえ、マルセル的デュシャン性は一歩踏み出す前の修正を余儀なくされる。とするならば、いつか眺めたかった古拙の隋道をおそるおそるの物体が光る。

 

一本の句説から自浄の凸が99.8のその他への

 

一本の句説から自浄の凸が99.8のその他への、お知らせを繁縷に誘いながらの改良の付加を声にする。付き添われて秒針を追いかけていた、その停止のときまでの瞬間を位相の黙契に寄せていたのも思想の隅を這い回る千本の虫眼鏡。そうとは知らず呼び戻されかけていた金属探知のそれまでの責務は袋詰めにされてしまった。だからというわけでもなく、階段に膝を衝く人の痛みを「自分とは」違う「斜め視線」と通り過ぎていたのは「 」からまもなくの頃。俯瞰はモノクロのざわめきを数え上げながら、「負」らしくもない物質が現在を横切っているのもたったの7行だ。

 

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