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離脱は華やいだ森の便りと覚書ながら

音言遊戯帖第91集

 

  

  Оставить в лесу веселый письмо и меморандум о взаимопонимании при

 

❏ 2013.6.23-12.23

❏ Один девяностый том тетрадей для игры звука и слова

 

 

Звук,звукозапись,стихи,Фото.и дизайн:ОНЮГИ. Программное оборудавание, Cakewalk/MUSIC CREATER 5. ZOOM Handy Recorder H1.Shure SM57 микрофон,Cardioid DM-876S микрофон и Yamaha MV802 Хроматической насторойка,MT-1200,TU-12H. Зписался на звукстудии ругнои работы ОНЮГИКАН.
23 Июня~23 Лекабря 2013.
URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/ Блог :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/ 音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/ Email:onyuugi@infoseek.jp
Music,recording,poem,photo and sleeve design by onyugi. Recording application software Cakewalk/MUSIC CREATER 5. ZOOM Handy Recorder H1.Shure SM57 microphone,Cardioid DM-876S microphone, and Yamaha MV802. MT-1200 Multi temperament tuner,Chromatic tuner TU-12H, Recorded in The Handmade Studio ON YUGIKAN.
23 June~23 December 2013.
URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/ Blog :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/ 音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/ Email:onyuugi@infoseek.jp

使用楽器・音具 Музыкальный инструмент/Звонкои инструмент

 

 

ギター10・Acoustic guitar(TAKAMINE・TSA800)


マンドリン2・Electric acoustic mandolin(ApplauseMAE148)
 

YouTube

 

3:27 3:31  3:34  3:56  2:57  3:51  2:47  5:58  5:18  5:22  4:14  3:35 

 

 

Total time Общее время звучания 46:24
各曲には長い沈黙が収録されています。ご注意ください。

離脱は華やいだ森の便りと覚書ながら

 

離脱は華やいだ森の便りと覚書ながら、それでも幽体のプロポルンの角度を疑ってみる。壊れていたのは轍の霧からの合図でもなく、コウノトリの次元的平面に翳された手のひらの0.2秒の誤差でもあり、自己の映ることのない位相の鏡でもあった。待たされ続けることは、おそらく苦ではないが、平衡の透過された地図を頼りに地下隋道を「させられ」続けていたのはモスクワからの限りない裏切りでもあったのかもしれない。メガネはいつか地下のぬくもりに曇りがちにこうべを諦めて、ぎこちないダンスを繰り返してもいたし、だからというわけでもなく、唐突の花火はなぜか濡れて美しい。

 

「の」ようなものを錨の湿度計に代えて

 

「の」ようなものを錨の湿度計に代えて、明朝体にでさえタンクローリーの「お菓子入り」がWの窓を擦過していったのには訳がある。バス停はふたつ並んでタバコの煙にむせていたし、心地の良いトタン屋根は点描の光を「他人」に差し上げてもいた。あまりにもやわらかいダイヤモンドなど付箋をつけて高架下建築の倉庫に仕舞ってしまう、と覚えたての言語学を街の観覧車に記していたのも6125というものだろう。したがって、社会の包摂性は個人を直撃しながら△の紐帯を切り裂いてしまうのかもしれない。だからどうしようというのかわからないままに、歩行者天国は「孤立」で一杯だ。

 

捻じ曲がった内発の揮発のボルトを締めて

 

捻じ曲がった内発の揮発のボルトを締めて、文字を必要としない人々の機微を理解するのは難しい。しかも、断たれた色相説にうっすらとあいた穴の顔を平日の午後に繰り返していたのも、Fという過剰なプリペアドギターでもあったし、kの淘汰圧でもある。、は一度ならずも求めてはみたものの、声からこぼれてしまった相互補完はやはり声にするしかなくて、8の字はいつまでたっても串刺しにされたパラダイムでもあるのだろう。F#を聴いて、37mmの空洞を思わずにいられないのは近代西洋の罪でもないし、今あるわれわれの重層図形のせいでもないし、折り目のついた地図の町を塗りつぶすことでもない。

 

冷却された正弦波の重なりの裁断された果てに

 

冷却された正弦波の重なりの裁断された果てに、眠らされた化学物質の物言わぬ笑い。それはすぐそばに消えて聴こえているというのに、海域の相克に満たされない確執を求めてもいるのは青い不協和曲線。レンガの汽車を行く逆送のБарабан から、きっと怯えながら井戸のまわりで踊り始めていたのは、瑕疵さえ孤独の慰めの廃墟図かもしれない。と、したにもかかわらず、停滞する泥濘の意味を探ってどこまでも寄り添って行ったのは齧りかけのコッペパン。それだけでもなく、退色の時刻に合わせて息をひそめてもいたのだし、裏口からそろばんを鳴らすことだってできたのだ。

 

模糊の両極性を尋ね歩きながら

 

模糊の両極性を尋ね歩きながら、自動ウサギの献詞を失速させる。そのランダムな回路の一つ一つの色彩を罪歌で数えながら、電信柱は月に引き抜かれかけている。それでも、返された鉛筆のお尻には今でも消しゴムの香りが丸まっていたし、タンクローリーはコバルトの知の即興空間を均してもいる。新しさはポリ塩化ビフェニルの即自性を疑うことはできなかったのだし、すべてはCKに再生された電波の修辞学にすぎない。いくら言葉の表層を眺めようとも、非連関的位相のカタカナの挿入句を待っているだけでしかないのではないだろうか。いまだに、因果魚のお乳を搾っているのは風に飛ばされたプラスチックホースの番人だ。

 

鳴り続ける軌道47は置かれた緑の眼球のようでもあり

 

鳴り続ける軌道47は置かれた緑の眼球のようでもあり、引き裂かれかけの砂の仮面でもある。したがって、具体性の曖昧さでもある電車である。だからこそ、一枚ずつ嘆いて折りたたまれているランドセルのいらだちは放物のしめやかさにも裏切りの果実を乗せられた矢印の視線状に間歇、とでもいった不測のリンゴの顕微鏡である。はじめの映画はいつしかのアラルの「エンジン」のようにも思われるが鏡の虚像はあまい嫉妬に運ばれ続けているのかもしれない。

 

不足した7行への償いを業にして

 

不足した7行への償いを業にして、乾ききった第二部へのプロローグの尻尾にしがみつく。昨日までの白い指先の隣人に、エッチングの薄暗さを説いていたのはいつかの講義録にちがいないが、まとわりついた水のぬるさも気にすることはないのかもしれない。これまでの代替されつくした臨時ステーションへのおとぎ話も、蝋の穏やかさには魅せられてもいたのだし、5鍵のルバーブであっても下敷きにされた虚脱の硬質性は疑うことができない。装着されるべき凸レンズの手袋からは、きっと、そばにいただけの開かれて、削りこまれた「呼びかけ」のアラベスクが終わりの糸を繰り始めている。

 

開かれようとする即自の内側にあって

 

開かれようとする即自の内側にあって、ひっくり返ったあどけない泥の時計のぎこちなさに見とれていたのは金色のアラベスク。底から映りこんだガラスの仮の仮面のように、トンネルはアウラへと踵を返した一角獣なのかもしれない。が、抜き差しのならない黒い緯度の後退に囲まれた湖は錆びた枯渇の範域をさまようしかなくて、土に返るまでの実感を悟ることもできないないにちがいない。とするならば、傘に乗せられたビー玉のあやうさを切り取られた園失の湿度に寄り添わせながら、その位置を確かめる方法もない。飛躍は塔に重層されてゆく熱情の反映かもしれないが、螺旋は立ち尽くされて固まっている。

 

定規地の移動に寄り添いながら

 

定規地の移動に寄り添いながら、名前を溶け込ませたコーヒー壷の香りを口承させて、レ点をはずし始めていたНа холма。それらの背負われていた鞄の終息地点を、檻のC的^に考えていたのはrの離合的発葉というものかもしれないが、苦味は「お手のもの」と積載された証明に希望を閉じ込める。さらに、後追いと知りながら進捗の処理を内発にゆだねてしまうのもタペストリされた「坊主スポ刈り」と呼ばれていた窮地でもある。上を指さしてそのまま「知らんぷり」はあまりにもそっけないと指摘していたのはロシアの革命家だったけど、それらもきっと、後追いの現実だったのだろう。

 

いわゆる「メディア」という倒錯は

 

いわゆる「メディア」という倒錯は、名前を欠いた送信の確認かもしれず、再生を拒む理由なのかもしれない。もしかりに、涸れリアの遊具が矮小化された葡萄のスイッチだとしても、交互に上書きされるやじろべいは瞼を閉じたビー玉だろう。注ぎこまれて、ある日の美術館の天使は、針金の自らの肢体をきりもみされた木炭の小さな穴にたたずんでいるし、あたりまえすぎるイメージによって支えられているがゆえに、その実在が恥ずかしげに現実味を帯びた心願につながってもいる。<はYでもなくて、乖離に閉ざされた影絵のシビルミニマムをレントゲン室の扉に寄りかかりながら、歌の時刻を待っている。

 

気が向けば流れる気球のように

 

気が向けば流れる気球のように、事工の病に外の景色を眺めいていたのを知ることもないが、照らされて、沈黙まがいの沈黙に耳を澄ましてみるのも今という時間なのだろう。不意の賑わいの渦を見届けながら、俯瞰ももう一度かき消されたままに、切り裂かれた実験的啓蒙の行方を秤に届けてみる。それは視線の先の無に点々であり、下された「追記」へのパイプのコントラバスでもあり、満ち足りていたその日暮らしでもあった。上に登ってゆくことを知りながら下に下がってゆくことの慣性をなだめながら、それでも、抜ける空の白々しさを楽しんでいたのも仮面の告白だったのだろう。

 

Ss;ls時亜sじゃaijtらadg03^8adaを真似して

 

Ss;ls時亜sじゃaijtらadg03^8adaを真似して、ふたたび鏡の向こうの自分の後ろを見たくて鏡の後ろに回ってみる。そうしてあるはずのない後ろ姿のjal]oe者ru;-3性に、i抜き取られたスポイトのシュ脱を陥れていたのは、やはり、p06ei/*字和えでもあり、見えない境界線でもあった。関係をこじらせたまま、99.6%の簒奪された夢を6部も印刷していたにもかかわらず、使い古された「新しさ」に満足してみるのも、そう、確かに一考とも思う。とはいえ、唐突の逆十時階段の二艘に戸惑うならば、おそるおそるの開かれた扉の疑問符の抽象をkr6k\4kw*i/**-じゃ伊勢にてい4え。

 

 

 

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