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組み立てられた自由論への象徴に

音言遊戯帖第100集

 

  

  Для символа построенный теории свобода   

 

❏ 2016.12.2-2016.12.22  

❏ Сотый том тетрадей для игры звука слова  

 

Девяностый том тетрадей для игры звука слова Звук,звукозапись,стихи,Фото.и дизайн:.ОНЮГИ. Программное оборудавание, Studio One. ZOOM Handy Recorder H1.MT-1200,TU-12H. Зписался на звукстудии ругнои работы ОНЮГИКАН. 2 ~21 Декабря 2016.    URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/ Блог :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/ 音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/ Email:onyuugi@infoseek.jpMusic,recording,poem,photo and sleeve design by onyugi.  Recording application software Studio One. ZOOM Handy Recorder H1. MT-1200 Multi temperament tuner,Chromatic tuner TU-12H, Recorded in The Handmade Studio ON YUGIKAN. 2 ~ 21 December 2016.   URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/ Blog :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/ 音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/Email:onyuugi@infoseek.jp

使用楽器・音具 Музыкальный инструмент/Звонкои инструмент

 

 

ギター6・Electric acoustic guiter(ovationNS781-5 86)

ギター3・Electric acoustic guitar(Aria・AMB-3)

ライター(黄緑)

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1:36 1:33 2:03 1:54 2:25 0:59 0:55 1:54 1:58 1:20 3:04 2:50

 

Общее время звучания Total time  22:24


各曲には長い沈黙が収録されています。ご注意ください。

 

 

組み立てられた自由論への象徴に

組み立てられた自由論への象徴に、モスクワの路地を滲み出させるのは昨日の雨かもしれないが、ポケットにあふれ出すのは不純なアポヤンド。「ダバイ」とうながされて、その日夢見たのは凍りついた曇天の花火だったけれど、それでも融けだしたゴム靴の足跡はホテルへの眩みへと続いている。後見人のない廊下に置き忘れた崩壊への入場券を握り締めて、振りかえることができたにしても、季節はずれの論理は空回りしているのかもしれない。すべてを包み隠すという雪にも恵まれず、むき出しにされて欲望はすべりやすく、ふたたび地下へのサングラスを捜し求めている。

待ち焦がれた出靴④への近道を

待ち焦がれた出靴④への近道を、名付けて矢印を歪曲する閾値に定める。そして、外区への喪失をこじつけられた後退に仕舞いこんでいたのは、羽を着け始めた裸の猛禽。としての、セリエリズムへの回避であるにしても、それらの乱叱をもまた非社交的社交性と呼ぶのは開始されたばかりの歴史の塗炭というものなのかもしれない。囲まれて、もう一度その確執を掘り崩しながら、切添町の幾何級数をその川へと続く足跡のせいにして、赤いバケツのピンボケを悔やんでみてもはじまらない。吊るされて、天井は濡れた色彩の手形が張り付いていて、絶対的制約を「あっと」いう間にくぐりぬける。

穴ぼこだらけの負の連鎖をつぎはぎして

穴ぼこだらけの負の連鎖をつぎはぎして、苦し紛れのその先を考えられなかったのは離反を許したままの交錯点。想定された機制はかなうこともなく想定を街区の知性として裏切り続けていたし、「これ以上」の因果律を求めることもなかった。「しかも」という不自由さはいつでも懐にして、機能的構築をお好みのままに弄ぶこともできたのだから。それらの不透明な意志を、いまさらのように波紋の中心に寄せ集めてみても、他行為可能性の確率分布は白い顔のまま博物館の扉を飾っているだけなのかもしれなくて、向かう対象への後ろ前さえわからないのかどうかもわからない。

却層をねぎらうために

却層をねぎらうために、開示された灯路を抜けた矩形の沈殿はあざやかに収奪される。そこだけの段組みされた歴史性のたったの1行を、さらに握り締めた介在された帰責への審判としているのは幻の心電図に過ぎないにしても、なお、分け隔てようとするのは放置地区への途切れた変換指数でもある。せり出したメッセージを恨めしげになぞってみても、その背後に浮かんでくるのは彩度を失いかけたデジタル。最後のニュースはあのときの悔悟を選択させる可能性が秘められて、だとしても、現在の選択を合理化することができないと説くのは後からの、そうして、いつからの6/372の凡庸な日。

囚われの即時的非実在の非在に

囚われの即時的非実在の非在に、獲得すべき廃の「もちろん」は「国際統一戦線」をあざ笑ってみても、新たな虚構を掘り崩す。想起は一瞬のスローガンに翻り、送られた筐体詩への繰り返しをも失望する。とある、日常のうしろめたさに耐えかねていたのは行舟の、その手渡されてゆくぬくもりへの二重写しであるにしても、流されたままの準備を入手するのは「たったの君」だ。改革を風の壁に打ちつけながら、砂のコップを作り続けているのは魚牛でもあるかもしれないが、カランからの吹き飛ばされる水滴を失い続けてもいるのは耳を垂らした光芒の、束ねられた倒壊図。

三角点を回りながら

三角点を回りながら、眼切りの目盛りを口癖にして、地球の裏側のブラームスを聴く。ないものねだりに気付くこともなく、すねてみてもはじまらないと金魚鉢は割れてしまっていても、届く当てのない通勤電車に変わりはない。その上波打ち際の金色の雨に、そのまま踏切までの禍根を引き連れて、pしてみるのも一考かもしれないが、装着された辞書は何の役に立つのかもわからない。それでも四角に囲まれた改行音のざわめきに、やはりすねてみせるのもひとつのありえる姿態なのかもしれない。突然は突然だからきっと間に合わないのだろうし、並んだ魚はそこだけ曇天に曝されている。

地球と月におまじないをかけて

地球と月におまじないをかけて、裏の庭に漬けていたのは裸電球のフィラメント。そのガラスの表面を裏返して半角変換してみたものの、昨日のブラームスが恋しくなったのは割れたボリュームコントロール。そのまま市場への恐怖を押し隠しながら、ドン河への退却を準備することの虚しさは凍りついたしもた屋の消えかけた彩度にも似ている。外の香りを追いかけて、街角美術館のさみしい館長を慰める資格などあるわけではないが、小刻みな電線を秤に巻き付けて、オストローモフの開示性を問題にしてみるのもたまには天秤雲かもしれないが、交わらないままにもつれているのは磁場の消息だ。

引き込み線を見上げた電光の逆映に

引き込み線を見上げた電光の逆映に、永遠という自己限定性に気づくことのない自動二律と、惜しまれながらのシンゴニウムを刻んでゆく。下敷きにされて、それだからこそ、背離は再びの接近を許されるのかもしれないが、無理な休息を打鍵に変えて疾走する。それらの未来のアルキメデスを失意に変えてまで、水没船に居続けることにどれほどの意味を与えよう。固定したままの黙示は後戻りできない膠着疲労と重なりながら、書籍の厚みとしての建築作動を範例とする改竄を忍ばせてもいたし、だからといって、どこへ向かうのかもわからない線量の主義をとがめることもできない。

壊れかけた鳥の心電図を追いかけて

壊れかけた鳥の心電図を追いかけて、枯渇しかけた廃層船の巻貝を底に並べて、それでも事実は癒されることがない。あたりまえの隘路を過ぎたような気がして出ようとしながら、一歩ずつ奥へと入り込んでいくのは人の顔のデフォルメ。探し続けてみたものの、誤解の比較体制学派の筒抜けのプロセスを味わい尽くしてもいる。冷えた構造は失われた機能の園駅をはかない天秤にかけながら、ガラス絵に張り付いたままでもある。整列は許されるはずもなく、同時に壁の手探りを蓄積された圧延に差しだしながら、心地よい閉塞性を違和感として引き続きの消えそうな彩度を懐かしむ。

リンゴはトマトだから二項の図式を乳母車に乗せて

リンゴはトマトだから二項の図式を乳母車に乗せて、だから、剰余価値学説を凝り性にやはり三輪車のほうが都合がいいのかもしれない。ポストモダンをようやく勉強し始めて、その稀薄性に教えられていたのは立派なソクラテス。エクルチュールの汚染を灰色の雲から、「開かれています」を一つの症候群として扱わなければならない現代を狙撃するつもりもないけれど、右に張り付いた水の時計を押し切り鉢に囲って、それでも、ぞろぞろと吐き出されているのはあまりにも柔らかすぎる脳髄。解決は先延ばしにされて、どこまで本気かわからない範域性を確定したくて、「そこまでは踏み込まない」。

先走りの言語を箱に入れて

先走りの言語を箱に入れて、朴訥の「止揚」を開いてみる。さかさまのニシンが飛行機であったにしても、最初の春はバイカルの岸辺を、やはり、蓋されているのだから、失街船の希望をとろけだしたアスファルトの文字にさらに溶かし込んでみる。線状を追いかけるしかないと、目次のアルファベットを一般性と勘違いしてみても始まらないかもしれないが、アジアの知ったかかぶりは格変化に追いつくことがないのかもしれない。カメラは個の箱の負の境界線を「ただ」の瓦礫に変えてしまっていても、「ただ」とはなんだろうというメタ「ただ」を繰り返してみても川床のネズミは見つからない。

白濁した枯渇を追いかけて

白濁した枯渇を追いかけて、支えられた人の早すぎた回答へのその時期をどこに求めようとするのか。(は括られて船出を許されたにしても、後からの言い訳はふたたび「に括られて、支脈の刻みを束ね返してもいる。それから先の苦悶を引き受けるにしても、引き上げきれなかった緊迫船を白い布に浮かべて、さらに吊るし忘れた鍵を後ろめたい概念として記憶しておく。航跡は見定めるべきものと教わりながら、その停止を夢見ていたのも冷えた頭部の蕊部をいらだたせているばかりなのだろう。硬質の交流電流を楯にしてすっぱい論理をはじめから諦めているのは、嘯かれたカンタータに過ぎない。

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