
音言遊戯館
Дворец игры
звука и слова
夜明けのサイレンと共にある0地点から
音言遊戯帖第107集
Из точки ноль с сиреной рассвета
❏ 2022.12.4-2024.2.5
❏ Сто седьмой том тетрадей для игры звука слова
Звук,звукозапись,стихи,Фото.и дизайн:.ОНЮГИ.
Программное оборудавание,Studio One. ZOOM Handy Recorder H1.MT-1200,TU-12H. Зписался на звукстудии ругнои работы ОНЮГИКАН. 4 декабря 2022 ~ 5 февраля 2024. URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/ Блог :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/
音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/ Email:onyuugi@infoseek.jp
Music,recording,poem,photo and sleeve design by onyugi.
Recording application software Studio One. ZOOM Handy Recorder H1. MT-1200 Multi temperament tuner,Chromatic tuner TU-12H, Recorded in The Handmade Studio ON YUGIKAN. 4 December 2022 ~ 5 February 2024.
URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/ Blog :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/
音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/Email:onyuugi@infoseek.jp
![2503130940333771[1].JPG](https://static.wixstatic.com/media/cb4267_0ff7bb4248dc4acfa7a17d4bf84f8899~mv2.jpg/v1/fill/w_95,h_104,al_c,q_80,usm_0.66_1.00_0.01,enc_avif,quality_auto/2503130940333771%5B1%5D_JPG.jpg)
使用楽器・音具 Музыкальный инструмент/Звонкои инструмент
ギター2・Electric acoustic guitar(ovation1587-9)
石
パソコンデスク
夜明けのサイレンと共にある0地点から
夜明けのサイレンと共にある0地点から、狭窄性のマンホールに浮かんでいるのは静かに溶解する否。閉じようとして力学の抽象的集合体の過言を搭載し続けているのは、おとといの今でもあり、疎。それでも、不可能性の排除を望みながら、ツツの外挿を駆け巡りながらも手渡されてリストからの拒絶を選択しなければならない。Cへの接近は危険と知って、砂に、その表面の階層をさらに求めて二重括弧の虚しささえ錯聴の過去形を記し続けなくてもならない。白鍵は薄汚れてしまったけれど、凸凹の壁に張り付いて、青い廃液を流し続けている。
出口の禁句と切り開かれて
出口の禁句と切り開かれて、それまでの無理数を色彩の隘路に潰している。0059の責任は問えないにしても、カリブの音楽を見立てていたのは20世紀の評論家でもあり、言語の不在通知でもある。止揚をその場しのぎの迂回路にして、なぎ倒されていたのは鳩印の銅像ばかりではない。<は248以下の検索を行えないにしても、丸の中の水時計は上に閉じていたはずだ。qの通常性は計り知れないにしても、めくり続ける空白のページを探り続けてみるのも所思の償いというものだろう。したがって、金魚鉢の底からの便りを鵜呑みにして、川に泳ぎにいってしまったのもまた金魚だ。
追われていたものが終息の時刻であるにしても
追われていたものが終息の時刻であるにしても、括弧の角をなぞって、カタカナの表列を音引きしている。コンサートホールは方法の主義の吹き溜まりであるにしても、クラスノヤルスクのゆうるりとして、離れてゆく剥落した彩度を囁きつづけてもいる。空質は手負いの感触をそのままに、フレットの隙間からの微音を聴いていたのだし、その他の沈黙をも問うこともない。;:はこれまでの壊町を振り返らざる参照点にとどまらせながら、視精の追跡をさらに敷き詰めて、連鎖の輻輳を指揮棒に代えてもいる。査証はだからといって鳥の首を与えられてというわけでもなく、洞窟の逃げ道を模索している。
遁走する自己決定からさらに逃げて
遁走する自己決定からさらに逃げて、自己の決定を制約する選択文脈の制約を試薬に漬けたままにしている。相互の倒置が傾いた美術館への入り口だったにしても、明け方の雨粒の音を懐に囲い込んで、「他のように」今を受動する下線部を瞳の腐心に欠けている。裁かれてはいけないものがあるにしても、多元性を武器としての戒律を謳うことは可能なのかもしれない。浮いたままの水泡は虫に吊り下げられて、韜晦への作業の開始を告げている。さらに、周縁をさまよう針金魚は送られたままの形を忸怩としているが、手のとどかない痛みへの不動への憧れをも立ち位置としている。
知ったかぶりの阻却を渦巻きして
知ったかぶりの阻却を渦巻きして、外国に行ってしまうのだから、語と奏は真昼にしてあげてもいい。同等を評価の対象にして、19世紀的国家の庇護をことさらのように行動への後付けにしてみても、kはきっと裏切ることも箱に違いない。乱獲を許された自由則を5分前にはきっちりと開け放たなければならない選択コードの、絶対的な制約をその日限りに不在の干渉として、水槽に飼っている。十区は承知の範域でもあるし、ホテルからの眺めを思い出すにしては、緑のスーツはまぶしすぎていた。途中下車はエストニア語といわれてロシア語しか話せない臨時停車だってあるのだから。
呪術を飾り立てた無償の遊戯と
呪術を飾り立てた無償の遊戯と、明滅するコイルの交感をさらに梯形に挿入して、「ついて」について考える。無聊はいつのまにかの友達でしかないが、行き止まりの交差点を何度も眺めていたはずなのに、いつもそこにひそやかな期待を寄せいていたのが小さなライブハウス。通りすがりの非共約的次元を二束限りの病室への道を、複数的独裁の責任に帰していたのは予防的祭祀というものだろう。新しい限界を知り尽くしながら、横顔に垣間見ていたのは海岸の黒い花火。少しずつ消えていってしまうのは仕方ないにしても、それまでの外的過剰を篩いにかけながら下から覗いて見るのも抜去止揚の一部かもしれない。
棚にあがった自分は見えないから
棚にあがった自分は見えないから、キノコの盆栽は宅配便だ。18世紀から19世紀にかけての炎組織と近代の虚妄化は21世紀の変わり目に一つの終焉を迎えていたのかもしれないが、床屋の廃墟はそのまま持ち去られている。亡き者をあると信じて詩が言わないのは一向にかまわないが、それがまたしてもあることへの路地裏の木漏れ日は、その日の飲み水専用でもある。染みの壁を伝って、自分も同じ土俵に転がっていたって、アートギャラリーは熱すぎて入ることができない。だからといって、メダカの領分を奪っていい筈もないのだが、なぜか金魚も一緒に透明にされてしまっている。
散らばった見取り図の稜線を朱色に変えて
散らばった見取り図の稜線を朱色に変えて、それでも、四角い青みをガラスの旋律にぶら下げる。枯渇する前の布の痛みを辺境の蝋管に迸らせて、抜けた窓への切れ切れの染みを凍りつける。どこまで付いてくるのか、kは平衡の自分自身を見失いながら、池の深さを感じてもいる。中心に揃わされた彩度の調性に行き当たりばったりの舞曲を終了させているのは開かれた紙のブリューゲル。ジョウロをいいことに天井に貼りついた赤い金魚の孤影を黒い鏡に移しかえて、ARDの刻印をはかりかねている。さらに、戸外へと流れてゆくB様式を、土の収斂に変えていたのは、やはり、壁際のブルターニュ。
いつもと同じレールの上を走っているつもりで
いつもと同じレールの上を走っているつもりで、実は同じレールの上を走っているのかもしれない。が、どこまでを同じとするのかによって、キルギスへの回廊は白さのまばゆさに飛礫をかき砕いている。その場しのぎの湖への反転を昨日までのゆるやかな円弧の呵責に変えて、ひとりよがりの流儀を求めようとする。ならば、もう一度アルファベットを屈曲させて、「その他」への箴言を古書に、さらに求めようとする。下り坂に出て、剥がされた内壁のむごたらしさはいつのまにかの愛おしい美への弛緩でもあるにしても、削除された仔細のひび割れを、覗き込んでトンボのメガネを図形楽譜にしてみる。
カタログを背負ってたどり着いたのは絵のポールの立て板
カタログを背負ってたどり着いたのは絵のポールの立て板。伏せられた名前は裏返された公文書でうずくまったばかりであり、N79。鋭利を呪文にかけて、その日の心電図をコラージュしていたのも、港のダンスでもあるし、届くことのない内臓Dでもある。沿いながら、手を携えていた幼少の現地語にさえ、示された無痛文明は融和というリストを放り投げて、免震の構造をふたたびの厭世を突きつける。連打されて、なおも休符への戸惑いを培いながら、ペニシリンの実時性を団地の窓への祝祭に変えていたのは、焼きたてパンの横断幕。
広場のジョングルールに会いたくて
広場のジョングルールに会いたくて、奇矯な果実を窓辺の光に置いてみる。流れ出した床への奏実を幾何学させて、貿易風の生暖かさを考えてみる。ただし、それらの鏡像段階をようやくの、探りあてた霧立ちの普遍に追いかけられながら、欠けた陶製の冷ややかさを俯いている。かけがえのない字句を、さらに、機軸への流動性へと紡ぎながら、音の固定したと思われる壁面に飾り付けてみる。藻と見まがわれて、沈殿していたのは心の刻まれた疑問符でもあったが、背中の羽を失意に変えていたのも、やはり、通り過ぎたばかりの黄色い蒸気機関車でもあり、薄汚れた窓からの心拍装置でもある。
白い天井を見つめることしかできない通暁性と
白い天井を見つめることしかできない通暁性と、偏差に満ちた辺境という偏見との凶にあって、蓋をする。商品コードは呑みこまれたままの電波塔の、網目の交錯に擬似的に与えられたブリュッセル。おそらくは通語に着地した隔離というルサンチマンへのものうげな挨拶。見つめていたものが実は振られた尻尾の美質を気がつかないままの態度態でしかないにしても、家へと帰り始めた落胆の漂白を川に捨ててみても、森の三角地帯は閉店してしまっている。登り続けようと、諦めかけのサンクトペテルブルグ学派への定性も自動化された点滴を呑みこともできない。