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鍵概念を落し物したインク切れのストップウォッチと  音言遊戯帖第99集

 

  

     И чернила из секундомера, который потерял

     ключевое понятие

❏ 2016.5.9-10.21

❏ Девять девяностый том тетрадей для игры звука слова

 

Звук,звукозапись,стихи,Фото.и дизайн:.ОНЮГИ.

Программное оборудавание,Studio One. ZOOM Handy Recorder H1.MT-1200,TU-12H. Зписался на звукстудии ругнои работы ОНЮГИКАН. 9 Мая ~21 Октября 2016.URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/

Блог :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/

音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/ Email:onyuugi@infoseek.jp

Music,recording,poem,photo and sleeve design by onyugi. 

Recording application software Studio One. ZOOM Handy Recorder H1. MT-1200 Multi temperament tuner,Chromatic tuner TU-12H, Recorded in The Handmade Studio ON YUGIKAN. 9 May ~21 October 2016.

URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/ Blog :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/

音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/Email:onyuugi@infoseek.jp 

使用楽器・音具 Музыкальный инструмент/Звонкои инструмент

 

ギター6・Electric acoustic guiter(ovationNS781-5 86)

ギター3・Electric acoustic guitar(Aria・AMB-3

ライター(黄緑)

YouTube

 

1:16 1:16 0:57 2:44 3:15 1:57 1:02 3:03 1:25 2:50 2:34 2:52 

Общее время звучания Total time 25:06

各曲には長い沈黙が収録されています。ご注意ください。

鍵概念を落し物したインク切れのストップウォッチと

鍵概念を落し物したインク切れのストップウォッチと、記憶までのわずかな時間をありきたりのシステムに変えて、転倒された定点。構築された腐朽を二重化された揶揄の再想像として開いてみる。それでも「あとがき」は背後の秒読みを知ることはなかったにしても、虚でもあった。解かれかけて、時代への急進性を矜持としながら次第に忘れていったものはなんだったのか。主義を本質でごまかしながら、実証への誠実を携えて、自己を超克する事などできないことと、「すでに越境」されてしまっている自分を、なおも、追いかけ、その意味をまさぐらざるを得ないことの意味をさらにまさぐるべきなのだろうか。

蓋が閉められてこぼれた近代と

蓋が閉められてこぼれた近代と、だからそのまま、こぼれた人の背後は矩形に影していく。漁に出る代わりにと嘯いて辞書を丸暗記したところで、言説の不完全性は自分に戻ってくるだけなのだから、知的収奪を指弾されるいわれはない。カタカナに溺れて、魚の気持ちを理解したつもりの、その複雑さを憶えきれないのもあまりにも遅すぎた文脈のはかなさでもある。それでもなお、未開幻想を質問箱に放り投げて、その軌道を後悔していたのもアスファルトの滲み出した水域のどうにもならなさでもあり、行き過ぎた解釈というものだろう。したがって、畏れをはじめに餌食にしているわけでもない微塵でもある。

重ねつつよじれた泡の中の窓を求める止水の頚木

重ねつつよじれた泡の中の窓を求める止水の頚木、それらは遺された者のためにあるにもかかわらず、去っていった人への「複眼」にある。開始されて、乱数を見つめていたのをすっかり忘れて、揺れすぎるレールの捏造を味わいつくすのは得意ではないけれど、創傷はいつのまにかかゆみに変わってしまっている。新しさは求められているわけでもなく、そもそものすっぱい接合に過ぎないのだから、砂漠を見たつもりで語ってはいけないのかも知れない。さらに、粒立ちを明らかにして、再帰する位置を壊走する位相に身を寄せながら、博物学の水面に映し出されている切り取られた白い記述説。

挫折したつもりの8.52ポイントの稜線区Kの叛意

挫折したつもりの8.52ポイントの稜線区Kの叛意。それでも、なにげない^がなぜなのかを問うことの意味はゆるやかな脚注として白い段落に印字され続けている。そのときの対面を懐かしむ余韻もないが、今は静かな祝辞を秘説への背離に息苦しいだろう。そうして、破綻をさらに追いかけて、まるの中にはいって、独りよがりの人類学を口パクしているのはあまりにも虚しいディスコンストラクションかもしれない。日付はいつだってべたついた協議性とともに見透かされていたし、搾り出したところで2行の付点で終わってしまうのだから、だからボールペンのボールに挟まれて省略されている。

倒立した逆立ちを捻じ曲げて

倒立した逆立ちを捻じ曲げて、さらに背中の痛みを放置したままのその意味を考え始める。こねくり回されたくねくねは、最前面への供出を拒み続けているのかもしれないが、その範域の内属はどこまで読んでも進まない栞に沈黙している。手にしたものは月との距離に試験管でもあるし、可能な対位法にも封鎖されてしまっている。15218の角に頭を摺り寄せてはみたものの、棲むべき多元的所有観をも届けることもないままに、空疎を慈しんでもいる。送られて、機械仕掛けの平等を詮索しても始まらないのかもしれないが、閉ざされた規範は奥ゆかしさをも基層としなければならない。

広い外信的発展の貝を集めて

広い外信的発展の貝を集めて、どうしてもやってくる淡い接触の律動から、惑星の分配を馳せてみる。必然は洞察されるものと聞かされていたにもかかわらず、自由にならない他人は、その存在のひとつに他人から自由にならないということにおいて自由を含んでいるとはどういうことなのだろう。水棲の流木の行方は島への果たしを、ある結論として水葡萄のあやうさになぞらえられてもいたし、ローマ数字の婉曲線を削り取られていたのは、方位についてのめぐらされた詩想でもあるのかもしれない。さらに配慮はなされていることへの廃立をとめどなくJしているアポストロフィー。

積み木魚を釣りにいってケインジアンに捕まってしまう

積み木魚を釣りにいってケインジアンに捕まってしまう、「め」の人は所有の鱗からのこぼれた議論を説明したがっている。脚注はどこかへつながっているし、また、戻ってきてもいる。ぼやけた写真を見て、それが流星へのセルロイドだと知ってしまったのには、おそらく言えないわけがある。というボタンのかけ違いを理解してみても始まらないのかもしれないが、N96の自動二律を説明したがっている人も、やはり、ひとつずつちぎられて丁寧に包装されている。したがって、冒頭は終わりまで気がつかないうちにあとがきの冒頭にあっさりと、それらの宿題を明日までこしらえている。

最初の玉突きを教えてくれなかったのはカントだったような気もするけれど

最初の玉突きを教えてくれなかったのはカントだったような気もするけれど、玉を齧っている人が美しい構成に変えていたのは補遺の5行目だった。凍ったままの湧き水を虚構という実在に裏切りながら、その向こうの影の島々へと線を引き続けている青みの「われわれ」に、そっと上書きされていたのはU字溝の与えられた守りの人。常に残されるものはないものと同じかもしれないし、でも、同じかどうかを考える人が自分の向かい側に立っているとしても、向かい側の人も実はこっち側の自分だったような気もしてくる。その前に、立ち続けていたもうひとりのもうひとりが、長い時間をかけて論理を組み立てているというのに、抜き取られた違犯は、でもうずくまっている。

土星の半分はすでに奪われているのだから

土星の半分はすでに奪われているのだから、その変化に平衡できないのは欠損の位置移動というものなのだろう。西から東雲がやってくるのを北半球と勘違いして、でも、陽の沈まない極点もあるのだから、ネジ巻きが北半球なだけだろう。秒針をいくら追いかけても、停止する季節さえ、季節のない季節に納得させるのは難しい。それらの付随制約を担保にして、やはり土星の海岸線を引き剥がして未完にしてみる。さらに、結節された全域の×動態を黙認された前提にしながら、Lへの希望の数理計算を自慢しているのは「あさって」途中下車した君たちなのだから、mUはピンク色に電飾しておこう。

行けない先の缶詰の底を割って左を苦しむ

行けない先の缶詰の底を割って左を苦しむ、夜のハンドリングの規則を実行可能性の器にそっと注いで、逸脱の行方を占ってみる。たしかに、冷たい海岸線のセンターラインには、「そっち」へ行くと海しかないと青白い権利が擁護されつつ、ナッシュ均衡を明らかにしている。はためく自乗の不安の緊迫として、一回りしかない画廊への孤立はいまでも島の先に立ち続けているのだろうし、漁り火の帰りを待っているのだろう。規則正しさはもとより罪ではないし、初期設定された沈黙星の付着を波間に移して魚たちに与えていたのも、よしとしよう。

忘れていたはずのゆるんだ箱のプーランツァスと

忘れていたはずのゆるんだ箱のプーランツァスと、恐ろしくうまくいかなかった夜と、肥大したトビウオの内部への思念を震える。から届けられた直角巻きの地上球を受け取ることもできずに、挟み込まれたどぶ板の軟弱に頭をぶつけてみる。案内されたサボテンの窓の双発は一般式を憶えていないのかもしれない。すこし横からの透明なずれ込みをいとおしみながら、<をもう一度廃止してみたものの、誤認されていたのはたったの32年間でしかなかったのは繰り返された傾斜文字というものだろう。潰されて、なお、乱数を追いかけ続ける前後左右は資材一課のデスクに溶け出し始めている。

こぼれながら壁を這い上がる水の拘束と

こぼれながら壁を這い上がる水の拘束と、「はず」の不自由を獲得されたいつまでの跳ね返り性。内面を推し量ることなどできないと、5行目の千鳥足をものさし目盛に捕られて、それでさえ、白い部屋に上れば非対称のオブジェが空気を吸っている。そのままの拡張性は新しい敷設を全体性への束縛に変えながら、頭で自らを支えていることの息苦しさを知ってもいる。逆走する時間はくすみの空へと向かい、連なる1/1を目の当たりにして、やはり、連なりの網目の自失を数えることもできない。ならば、もう一度、終着を間違えて、雪バスを空っ風で追いかけてみるのも、でんぐり返し。

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