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目覚めれば引き出しのごぼう頭 音言遊戯帖第87集

 

  

     Если он будет просыпается, головой лопуха в ящике 

 

❏ 2012.11.18-2012.12.2  

❏ Семь восьмидесятый том тетрадей для игры звука слова  

 

 

Звук,звукозапись,стихи,Фото.и дизайн:.ОНЮГИ. Программное оборудавание, Cakewalk/MUSIC CREATER 5. ZOOM Handy Recorder H1.Shure SM57 микрофон,Cardioid DM-876S микрофон и Yamaha MV802 Хроматической насторойка,MT-1200,TU-12H. Зписался на звукстудии ругнои работы ОНЮГИКАН. 15 Декабря 2014~12 Яанваря 2015. URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/Блог :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/ 音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/ Email:onyuugi@infoseek.jpMusic,recording,poem,photo and sleeve design by onyugi. Recording application software Cakewalk/MUSIC CREATER 5. ZOOM Handy Recorder H1.Shure SM57 microphone,Cardioid DM-876S microphone, and Yamaha MV802. MT-1200 Multi temperament tuner,Chromatic tuner TU-12H, Recorded in The Handmade Studio ON YUGIKAN. 15 December 2014~12 January 2015. URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/ Blog :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/ 音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/Email:onyuugi@infoseek.jp

使用楽器・音具 Музыкальный инструмент/Звонкои инструмент

 

ギター5・Electric classic guitar(APX-7CN)

 

錦石

YouTube

 

2:14 3:14 2:28 2:04 1:24 2:10 3:07 2:49 2:18 2:53 3:52 1:05 

 

Общее время звучания Total time 29:32

各曲には長い沈黙が収録されています。ご注意ください。

目覚めれば引き出しのごぼう頭

 

目覚めれば引き出しのごぼう頭、つきつめれば決済は手袋の青粒にしがみついている。時解けへの箴言は数え切れないが、kへのそば脱には黄色いはてなマーク。昨日覚えたはずの三段論法という古めかしさはいまはもう箱に眠っている。それが悪いとはいえないが、でもどこか悪いと思ってもいたりする。残された5行への切迫感はいつものことながら、薬缶のお忍びにも似ていて、赤ら顔は紐にくくられたまま、窓辺の草刈を見守ってくれている。知らぬ間の日伸びが待ち遠しかったのが嘘のうちにこんにゃくしていたのには、走ることができないといっていた金魚が走り出した瞬間。

 

おたがいにこけしなのだから素体を探しあぐねるつもりもあるは

 

おたがいにこけしなのだから素体を探しあぐねるつもりもあるは、あぐねた爪先立ちの消えゆくブリキの強度を音にしてみたのも後ろ向きのせいでもない。依頼されてとどのつまりは「文法」の塞ぎ虫だったのだとは、間に挟まれた、ままの逓減指数にも満たない2月の嘘つきでもあった。としては、「の」のガラスは影を作るためのモチーフ在であると説いていたのは街角のギャラリーの、止揚された単品を紐解いていた薄ら顔のエンジェル。ボタンをそのまま3つ、2つの解に無理やり連結させていたのも、やはり、路地先の終わりのない滲みだったにしても、位置をずらされて、川にはまり込んでいるのもおつなもの、のかもしれない。

 

めくれたコートを脱ぎ捨てて

 

めくれたコートを脱ぎ捨てて、類瓶へのエピローグを壊しにいく。整えられた歩哨の停滞の先に検疫は開かれたままの播種を待ち焦がれてもいたが、廃油説への紊乱を内包する列車は凍った森に7日目のさらなる虚飾を裏切ってもいる。収容と呼ぶのはたやすいが、言語は圏外への郷愁をも後ろ盾にして、外延からの疲弊をやはり播種への尽くせぬ糧としていたのかもしれない。さらに世紀の境目はとうに過ぎて、枯渇の論理性の上に自らを費やすしかないのかもしれないが、頭上を見限るラウドネスへの操作性さえいまは癒された自浄作用の中で、循環する機制を伺っているのかもしれない。

 

湖も区の砂地に出航し

 

湖も区の砂地に出航し、裏庭で地球玉を掘り返すとマトリョーシュカがマトリョーシュカを撫でていて、囚われの円陣を蠢いていた。しかも、円の中の曜日をちぎって、彗星の砂をまぶしては、格のない対話を重ねているのは人気のない要路を横切る4月語なのだから、傘素だ。やがて訪れる凶作の扉を開いて、創傷の身をプラスチック回路にゆだねてみるのも棘のある話だが、流出する身の置き所のなさをいたぶるのも得策でもないだろう。傷つきやすさは差異も絵の特権かもしれないが、背負わされてそれでも与えようとするのは誰のための壊性なのだろうか。齧られた点は憶えているのだろうか。

 

よそものの訪れの5月、憑依への餞別に明け暮れた質量

 

よそものの訪れの5月、憑依への餞別に明け暮れた質量、それらは白紙の戻り手でもあり、黙された鉄学。に、ちがいなくもないが、ぽとりと、雨の、暗がりをおそれてもいる。めじに差し込まれた硬質のぬくもりをまさぐりながら、ふたたび、雨の、方向を定めようともする。外された孤影の二層性は色をあざやかに濃縮してもいるし、そのことの意味を連弾させるのはお人よしというべきかもしれない。めぐる橋のたもとのたしかさはすでに消えかかってはいたが、橋の裏側に跳ね返る声には見覚えがある。とするならば、破砕機への対話はねずみ色の体制を崩壊させた跡の美しすぎる映写機の影かもしれない。

 

穴に顔のあいたブリューゲルのエンドレスと

 

穴に顔のあいたブリューゲルのエンドレスと、終わりを追いかける黒い約束の羽ばたきと、そうして、メリーのゴーラウンドには縁が無いと崖っぷちの個別の生き物。裂かれた人文字の隊列の手のひらに5階の花束は叫ばれている。ドアから負に訪れた這い虫の誠実さに心打たれていたのは配水管の実在でもあったし、伸びきった三角拒否の対話でもあり、それもまた、頭から生えた捏造に拒絶されてもいる。というわけで、無人の踏み切り番をいつまでも待ち続けていたのは、非実証を唱えるなけなしあるいは在庫切れのアンドレ・プラトン。それでも近似値を浚いにかけて銀河に流し込んでいたのは、行過ぎた暴かれの人ではないか。

 

 

意図せざる論理的矛盾と

 

意図せざる論理的矛盾と、そそがれて、廃質の中断的必事。あいまいさは一掃された救済の声を聞くこともなく、受け取られたゆるやかな休息を準備する。待たされ続けたキャラメルの曲折色にともなわれて、惜時を踏む人の雨を嗅ぐ。人と付き添われて、渡り損ねた薄い回廊のつらさも、いままでの私実への確実さでもある。とするならば、石後へのささやきも忘れたままにして、オレンジ性の潦への過信を急いでいたのは後ろめたさへの償いでもあったが、灰だった。視盤は穢れなきよう、4月の選択を犠牲にして、行く手までも後ろ手にしながらの燃料棒を転がってゆく。

 

凍りすぎた道が滑らないように

 

凍りすぎた道が滑らないように、無理やりの夾雑が提示への一歩でもあった。といわれて久しく紡いでいたのは扉からこぼれた鳥のよちよち歩きだったような気もするが、後ろ指の掃除機だったような気もする。焦げついた画面の裏側にはサイレンがあると教えられて、きっと、バケツを持ったまま片足を上げたままの神話に近づいていったのも暗闇からの贈り物だったのだろう。安易さはお望みではないと紐に括りつけていたにもかかわらず、事業計画を製本にして、まるめこまれた心拍を爪弾いていたのが妙に懐かしかったのはガラスの二重写しだったのかもしれない。

 

フーリエと向かう解析のよじれた白紙の

 

フーリエと向かう解析のよじれた白紙の、その行方を追われた正弦波のつぶやきに、舫われていた者は靴底のアルファベット。知っていながらのポートレイトを杖にかざして、飛ばされた帽子には午後がない。待ちくたびれて散歩を眺め続けるのも悪くはないかもしれないが、具体のパビリオン、空回りする対話の改行と、そこには沿うに冷ややかな裸足のアルフィーフ。検疫は心ならずも避けて敬されてもいたし、まして、「なぜ」を問うことのひとりであることの整理はおぼつかなげなコーヒーカップでもあった。繰り返され、真四角の空白には、セルロイドのイコンがひしめいている。

 

足の裏の影を疲弊させて

 

足の裏の影を疲弊させて、及び腰の遁走曲を補色に紛れ込ませていたのは2003年のr8.1。そのつもりで、夜のヒンデミットを広げてうなだれてみても仕方がないと、jはあきらかな壊質を対話にして、こぼれる才気をもてあます。rはだからくすみの「メー」と鳴く羊でもないし、それでも、彼は固まりすぎたレンガを叩き続けることができなかったのだろう。言葉を信じていたばかりに裏切られた諮詢の重たさはベッドの脇に実はなにげなく転がってもいて、ときとして鍵痕のわれわれを驚かせる。ならば、棒切れは腐食の時を迎えずに流れ続けているのはなぜなのだろう。

 

ジグザグをなぞりながら宇宙の大陸に握手を試みる

 

ジグザグをなぞりながら宇宙の大陸に握手を試みる、それらの馴致は平均律へのヴィオラ・ダ・ガンバの錯誤でもあった。それでも、人見知りの方程の波動式をそろばんで弾いていたのは透視の図法によるものだったのかもしれない。ただ、ムーアの法則は容赦なく渦となって沈み込んでゆくのだろうし、それらをごまかすこともできないのだろう。満ち足りて、すべての黒紙を撤回するのは容易ではないが、黙示にほどこされた文字性の視線を追いかけて、空間の意味を定型化していたのは、見えるものを見てばかりいた置いてけぼりの歴史理論なのではないだろうか。

 

彼方への呼び込まれた即際の後ろ盾に

 

彼方への呼び込まれた即際の後ろ盾に、それでもpへの喪失を与え続けていたのは間際の井戸掘り人。どこまでも藍を重ねた後からの粛差の追跡に、命を涸らしてしまったのは思わぬ誤算だったかもしれないが、誤算は確かに計算されたものでもあっただろう。はかなげな唯物論者の希望の図形楽譜。置き忘れられながらいつまでも慎み深く「あろう」とする過去への呼び水に、そこに入っていくことの拒否を掲げ続けてもいる。実は、接続を求めながらの族際でもあり、ときとして、変わらぬ抜き取られた後の手紙でしかなかったが、Xへのかすかな呼びかけは退路の、固定されかけた地軸への簒奪でもある。

 

 

 

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