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生まれながらの疲労を祝祭にする訳のないボンヌ図法に 音言遊戯帖第94集

 

  

  Прирожная усталость не праздник, а чертёк бонна

 

❏ 2014.12.15-2015.1.12 

❏ Четыре девяностый том тетрадей для игры звука слова

 

 

Девяностый том тетрадей для игры звука слова Звук,звукозапись,стихи,Фото.и дизайн:.ОНЮГИ. Программное оборудавание, Cakewalk/MUSIC CREATER 5. ZOOM Handy Recorder H1.Shure SM57 микрофон,Cardioid DM-876S микрофон и Yamaha MV802 Хроматической насторойка,MT-1200,TU-12H. Зписался на звукстудии ругнои работы ОНЮГИКАН. 15 Декабря 2014~12 Яанваря 2015.  URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/ Блог :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/ 音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/ Email:onyuugi@infoseek.jpMusic,recording,poem,photo and sleeve design by onyugi. Recording application software Cakewalk/MUSIC CREATER 5. ZOOM Handy Recorder H1.Shure SM57 microphone,Cardioid DM-876S microphone, and Yamaha MV802. MT-1200 Multi temperament tuner,Chromatic tuner TU-12H, Recorded in The Handmade Studio ON YUGIKAN. 15 December 2014~12 January 2015. URL:http://onyuugi.wix.com/onyuugi/ Blog :言遊戯帖:http://kotoyuugi.seesaa.net/ 音遊戯帖:http://onyugiguitar.seesaa.net/Email:onyuugi@infoseek.jp

使用楽器・音具 Музыкальный инструмент/Звонкои инструмент

 

 

ギター5・Electric classic guitar(APX-7CN)

ギター3・Electric acoustic guitar(Aria・AMB-3)

YouTube

 

1:23 1:32  5:14  2:11  2:47  3:24  1:36  1:56  2:59  2:27  3:41  2:56 

 

Общее время звучания Total time 31:58


各曲には長い沈黙が収録されています。ご注意ください。

 

 

生まれながらの疲労を祝祭にする訳のないボンヌ図法に

 

生まれながらの疲労を祝祭にする訳のないボンヌ図法に、名前をほどこして深層を探りあてたのは平面開放式の憩いの瞬間。プラスαは錐もみされるほどの埒外でもないのに、しらばっくれたままのポーズは公園下の乾いたコンクリを砕き始めている。Wの詳細はどうしても「その日」の壁の色を想起させずにはおかなくて、リンゴの皮を剥き始めた虫のような気分で2階に駆け上がる。それでも、遠くはちっとも見渡せなくて、こじんまりとした数字の瞬間だけが、人見知りの電電太鼓を手元に引き寄せて、もう一度住処への土の香りを滞らせたままにしている。

 

区別のつかない布置を彩り性に変えて

 

区別のつかない布置を彩り性に変えて、目深にかぶった照明のまぶしさに瞳をこらす、そうして一合のめしは混乱を混沌としてその縺れを慰めてはいない。協働的に駆動するはずのイントロダクションが、賦活を求める兆候的相貌だとするならば、造りかけの言葉は割られた地球の傷心にそのイメージを予測不能にもしている。凡庸な日常にひそむ関係性が、見慣れたはずのものが裏切られ続けるとしても、水平を行く多元的「口パク」はデモクラティックでもあり、水の表面をたどる足跡のようなにじみの中で、決定的な置換を探してもいる。

 

ゆっくりとした区分をわきまえて

 

ゆっくりとした区分をわきまえて、操作されてゆく主体の物質化を実は帯法の叢書の片身に添わせても、特化されて擬制は淡い光に打ちのめされる。制球を追いかけて、そのまま喚起する変動をリトグラフにしてもみても、読み込まれた崩壊はデモクラシーの眺望を憂鬱な5カラットにも及ばない。静かに半日を費やす露光からは、薄暗がりのささやきがゆるぎない日常への慈しみを育て上げる。とするならば、モダニズムの先に広がるなまあたたかい銃身を突きつけられて、どこまでも「すてきな」三輪車を陰画に取り込もうとしていたのは「注」に潜勢された破綻の膨張をうながす。

 

開かれようとする跋扈性という撞着に

 

開かれようとする跋扈性という撞着に、シリコン説は境界線の悔悟を忘れてはいない。抜け落ちる白濁点の知らせに真核の戸惑いは位相のずれを呑みこみはじめてもいる。金具を装着された仰向けの金魚には、それでも生きようとする切なさがあぶくを描いていて、アリストテレスのカテゴリーをふるいにかけようとしている。特定の涵養は抜ける空への少数意見に過ぎないにしても、顔とわかるオブジェの行く先を暗示させたまま、揶揄への確執をはぐらかそうとしてもいる。問題はすぐそばの気取りに過ぎないにしても、雌雄蕊分類体系は「そのもの」への接近を禁じ手にしている。

 

内部をたどって中間内部の記述性の外部につながって

 

内部をたどって中間内部の記述性の外部につながって、象限をこしらえ始めていたのは以上のものではないが、床はじゃりじゃりだ。一つの象限はもう一つの象限とつながってもいたのだし、境界の曖昧さを確定している。語圏への構図自体も青いままの自尊心を持ち運び自由だし、サルスノイという両義性に壊れかけた精神を矯正するのも牙を抜かれた紙っぺらのようだ。そしてもの色つき概念にこれまでの栞を口ずさんで、北への航路を凍結させる夢は温暖化の夢に煎られてしまっている。もしくは、お面の好きな小学生だった大人がそのまま小学生なのかもしれない。

 

擬制にされた密約の無欲への補完性は

 

擬制にされた密約の無欲への補完性は、傾斜する箱顔の9006-5に積み重ねられている。浮遊する相殺を求められての、足の欠けたリトマス試験はどさくさまぎれの内省をほのめかしてもいる。Bの傍点はどこまで信頼できうるものなのか、それらのよじれた思索を土星の輪に載せてたんぱく質の音楽を聴いてみる。その微塵の深みに寄り添いながら、海の底の惑星に魚の気持ちを味わってもらうのも一考かもしれないが、月5日はコンクリートの図式に無理やり押し込められたまま、メモを忘れた洋服店の傘マークは水玉であふれている。しかたはあるものとばかり思われていたのは破綻の窮鼠かもしれない。

 

希望された偽装のプラスチックの軋みと

 

希望された偽装のプラスチックの軋みと、いつまでも「懐疑」にとどまる目指された解放説からは、そもそもの不要論があと一歩を越えられないでいる。それでも付帯する現象軸は街の重層化の実態を空転させたままの論理の空転をぎこちなくさせている。とりもなおさず、片務的概念装置を仕舞いこんで、遠海へのポリス的集合を問題にしていたのは歴史の戯画かもしれないが、満ち足りた傷への回復をシャッツしているのは予期された曇天のせいでもなくて、ましてや許されざる多元性への曖昧さでもないのだろう。無垢の事態を前にして、歴史的構築という割り当てられた言語を味わうのも恣意性という謎なのだから。

 

ワムリーレGRを捕らえて神授された凶事を内的に告発すれば

 

ワムリーレGRを捕らえて神授された凶事を内的に告発すれば、見上げたビルからの光の言語は偶発性をまぬがれているのだろうか。いつから銀河となったのか確定することは困難であるにしても、議定は交わされたままの汚濁をそのままにしている。ティーカップは壊れていても、透き通る再節合は自由主義的論争を青いノートに残したままになっている。しかるのちに、いつかのガラスの塑像の噴霧に曝されて、2日に覚えたばかりの捏造を、それでも、これほどの言葉の散逸の中で、もう一度焦げさせるのは装着されて呻吟する胸騒ぎのようでもあり、波打ち際のナットエクステンションのようでもある。

 

錯認の彷徨をダイヤルして

 

錯認の彷徨をダイヤルして、缶の布置を滲み始める空気圧の香りを急いでいる。設置された字体の緩衝の間からは、抗議に揺れる自衛が身を投げ出している。心願は与えられるものと魚の気分を装ってみたものの、棘の葬列を思い浮かべてしまったのは、やはり錯認というべきなのかもしれない。汀からはじめられた言葉のゆらりとした遊泳を、追いかけもせず、目を離すこともなく、取り囲まれた目的への完成も浸されて、青い循環は併呑されている。>はこれ以上の0を望むことはないが、構造を切開されたままの時刻は打鍵されるそのときを封印のリストからこぼれかける。

 

未必の分断を思い込みの類型に卵して

 

未必の分断を思い込みの類型に卵して、追いかけ続けたはぐらかしの喩への「という」一行。推定は恣意性を免れぬことがないと、頭をさげて教えてくれたのは構造虫の人だったけれど、レトロウイルスは包帯された高圧質の皮革さえどぎまぎさせてしまう。だからといって、地上波は冬の言霊ほどの度量もなくて、置換速度のもろさにうろたえているのかもしれない。幻影としての形容詞を下綱の尻尾を踏み続けている。ならば、2はrと手をつないで、きっと、透過性の甘い火口を探しながら、ラッパの10.8を詰め込むだけ詰め込んで、「ピー」して第過去説の波形をネジ回ししている。

 

デジタルをアとナログに添付して

 

デジタルをアとナログに添付して、その池には立派な名前があったことを固形色の地図で知る。キリンの飛び魚は泳いでいないけれど、蜂に刺された頭石はバケツのダイアローグをガラスの展示室に並べていたのだし、手小奈のお堂は今日もポリ塩化ビフェニルに脅かされている。「人間拡張論」とよばれてひさしい枠組みは767カの放送室に狙い打ちでもあるし、内的試走は曇りがそのまま海につながってしまっていた。としても、方物線がすきなのだからいたし方ないにしても、製図セットが手元にないのは一大事でもあるし、手負いの曖昧性でもあり、フィネガンの研究では「ごもっとも」だ。

 

日暮れのアドルノンが失意の看板を食べて

 

日暮れのアドルノンが失意の看板を食べて、拡散する消費を文化的戦略の付随的地点に記しをつける。引き剥がされた地球の表面は、もう一度生えかけた表面にミトコンドリアから引き下ろされる。たっぷりとして、空間は息苦しい踏襲を青みがかったレストランのテーブルにしつらえられてもいる。それぞれの側面製の消火装置を握り締めて、強調された言説へのしわぶきをそっと避けて通る。天井からみたこちら側の目線には、ぬるい顔料が満ちてもいて、トルカーチへの質問を受け付けることなく、ましてや街道を行くどこからともない手紙への不実は離れ離れのスカンジナビアでしかない。

 

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